エ ッ セ イ


−私 と 書 店−


 書物というものは時に、ひとの人生すら変えるほどの、大きな力を持つものである。

 それは悩みからの開放であったり、生きる指針であったり、さまざまな技術であったりと……。そしてそれらの書物から学んだ事柄によって、悲喜を伴う多くの物語が繰り返されてきたことも、歴史的な事実なのである。

 私にとって書物とは、善く生きるために欠かせない、人生を支える薬≠フようなものである。そして書店とは、さまざまな薬を備えた「薬局」のようなものだと言える。

 何かに悩み、解決策を見いだせないでいる時、多くの書物によって少なからぬ助けを得てきた。――それは、あるものに対して、より善い方法を得るなどの技術の修得であったり、自分が弱気になって迷いを持った時に、勇気を与えてくれる心の支えであったり……など、あらゆるものについてである。

 しかし、書物に触れれば触れるほど、それらのなかには、まったく効果を発揮しないもの、逆に悪くさせるものなどが、多分に存在していることに気付いてきた。そして困ったことに、それらを一目で見分けることは、非常に困難を伴うのである。

 もう一度言うが、書物とはその性格上、読書家に多くの影響を与えるものである。それゆえ、それらを備えた書店――私のいう薬局や病院――は、人がどの書物を用いるかということについて、野放しにすべきではないのである。なぜならば、病院へ行って医師の相談を受けずに、自分の症状に効くと思われる薬を、勝手に選んで服用してはならないように――何の選択基準も持たずに、見栄えがすると思える書物を手にするということは、無意識に悪書を選び、それを使用する可能性が大きいと考えられ、また、多くの危険をはらむ結果ともなるからである。

 例えば、過ったダイエット方法を書物から学び、やせおとろえ、死に至った事件――。

 疑わしい宗教書や心理学書、危険な思想書などにどっぷりつかり、恐ろしい犯罪を巻き起こした事件――など。数えあげてもきりがないほど、ある意味で「力を持つ悪書」は、人々に悪影響を及ぼしてきたのである。

 そこで悪書とは、教育上の問題といわれるどぎつい性描写本をいうよりも、人間を不幸にし、人生を過った方向へと導く書物こそを、絶対的なる「悪書」と呼ぶべきなのである。そして、それらをすべて追い払うのは、本当に困難を要することも事実なのである。

 それゆえ私は、次のことを提案する――。

 少なくとも、薬と例えられる書物を多く備えた書店は、ただ、本を自由に販売するだけではいけない。――迷いを持ち、「何か少しでも解決につながるヒントを」と思う人がいたならば、その人と相談し、最も効率的で定評のある書物を、提示しなければならないのである。――要するに私が言いたいのは、「相談窓口」や「処方窓口」を設置し、病院における医師のごとく、書物に対して豊富な知識を持った相談員を配置する。そしてその人に「知りたいこと」「悩んでいること」などを相談し、その手助けとなるであろう書物を、明確にアドバイスしてくれるような、そんなシステムを設けることなのである。書店はそこまでを用意してこそ、社会的に大いなる貢献ができるのである――。

 もし「善書・悪書は自分で判断すべきである」と言う人がいるならば、それは間違いである。やはり数々の書物について、正確な知識を持つ人間の方が、より善いものを選べるのは明白であり、私自身の経験としても、多くの書物を読めば読むほど、このような「窓口」があればと、切実に感じるのである。

それゆえ書店に関係する方々、そのことについて一度相談して頂けないだろうか。一度考えてもらえないだろうか。本当に私には必要だと思えることであり、どうかそのあたりを、よろしくお願いしておきたいのである。




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