古代の里  阿蘇の自然
阿蘇の観光・史蹟へのリンク
   阿蘇地方は里の民、山の民そして川や海の民がいにしえの昔から活動している風光明美な古代の里であり、神話と伝説の伝わる神話の里です。阿蘇のカルデラ、高原、山岳、川、滝等の自然を紹介します。
尚、「阿蘇のカルデラ」が、日本最大のススキ草原を含む草原、火山そして水田が一体となった景観を持つた里として、朝日新聞により、全国100箇所の一つとして「にほんの里100選」に選ばれました。(2009年1月6日朝日新聞)

 阿蘇地方北緯32°東経131°に位置し火の国とも呼ばれ“阿蘇くじゅう国立公園”に含まれます。 西海国の肥後の国です。(九州 熊本県阿蘇市)
東西18q、南北25q、周囲128q、青い空と噴煙たなびく山や緑の草原・高原と稲穂が波打つ水田と清らかなわき水等の自然が全ての古代の里です。
阿蘇山、中道古墳群、阿蘇神社等があり阿蘇神社にまつわる伝説が残っています。
阿蘇の風光にふれるとなつかしさを感じ心が安らぎます。リフレッシュの地です

上部航空写真に於いて、正面(北)左右(東西)に連なる山は北外輪山、右(東)上には大観峰が望める。。又、西側3つの小さな丘は、昔、浜城が構築されたこともある本塚火山でカルデラ湖の中から噴火して出来たそうです。
中央を南北に流れる川は、西岳川。


*九州阿蘇地方
  阿蘇山は30万年前頃、火砕流を噴出し陥没し小さいカルデラを生成しました。
さらにカルデラ内に中央火口が出来、25万年前頃、西よりで噴火が始まりカルデラがさらに拡大されました。
その後、9万年前まで噴火とカルデラ(火山性凹地)の拡大を4回(ASO1、ASO2、ASO3、ASO4)繰り返し、カルデラ湖も何回か生成(5万年前)、消滅(南郷谷5万年前、阿蘇谷6千年前)され現在の姿になりました。中央火口丘は8万年前に誕生しました。杵島岳、往生岳および米塚は、それらより新しい。烏帽子岳が噴火した6千年前頃には阿蘇谷の湖水は、西側の切れ目から放出され干上がっていました。


右の写真は、大観峰からみた夏の阿蘇山(左 東から猫岳、高岳、中岳、往生岳、杵島岳)と阿蘇谷の田園風景。
下の写真は、久住高原からの阿蘇五岳遠望。及び、城山からの高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳、往生岳、米塚遠望。
上記航空写真は、阿蘇山を南から望む。中央手前が米塚、左上 往生岳、右上 杵島岳。
-------------------------------------------
現在、阿蘇 第4段階です。
外輪山は3万3千年前頃には完成されたので、そのころから旧石器人達が狩猟し始めたのではないでしょうか。
一方、阿蘇の盆地には1万9前年前頃に阿蘇五岳が完成されたので その後、縄文人や弥生人達が移住し定住し始めたのではないでしょうか。
阿蘇谷の標高は、平坦地 海抜 約500m、外輪山 海抜 約800mです。
外輪山に囲まれた阿蘇盆地を東西に伸びた阿蘇五岳が北の阿蘇谷と南の南郷谷分けています。外輪山の南北にそれぞれ川(火山灰の泥土で黒かった黒川)があり、その昔カルデラ湖の湖水が西方の立野で合流し白川(幾分澄んで白くなった)となり熊本平野を駆け抜け海(島原湾)に流れ落ちる。九州の中央部 高原地帯にあり東西南北50q以内に海はありません。
 熊本から豊肥本線が大分にのびており阿蘇登山口/内牧温泉へ行く阿蘇駅、阿蘇神社へ行く宮地駅があります。ときどき蒸気機関車(阿蘇号)が走っています。さらに行くと荒城の月で岡城跡の竹田駅があります。          


















 青い水が溜まった中岳火口、火口が詰まると、やがて噴火し土砂を吹き飛ばす事の繰り返し。
下の写真は、中岳火口の様子です。さまざまな、生々しい姿をしていますね。有毒ガスが発生する日もあり、その日は立ち入り禁止になります。近くには、噴火に備えて避難ドームも設けられています。
■阿蘇−4(ASO−4)
 右の写真は、今から、約9万年前に日本列島北端の北海道まで火山灰を振らせた大噴火時のもので、山梨県上野原で採取されたASO−4と呼ばれている火山灰。九州の火山灰で特徴的な透明なガラス灰を含んでいる。その他軽石が見られる。
(2006.6.11撮影)
■鬼界アカホヤ(K−ah)
右の写真は、阿蘇外輪山で採取された鬼界アカホヤのK−ahと呼ばれる火山灰。赤みがかった軽石が含まれている。
(2006.6.11撮影)
■火山灰の採取
■火山灰の洗浄
  火山灰を茶こしに入れて親指で良く押しつぶしながら洗うこと30分。
■超音波による泥の除去
 火山灰がしつこい汚れの場合に、威力を発揮する。
■火山灰の乾燥
  良く洗った火山灰を蒸発皿に入れて乾燥させる事、1週間。
■乾燥した火山灰をビーカに入れて準備
■顕微鏡で観察
 火山灰に光を当てて、鉱物を観察する。
 デジカメで撮影する。三脚があればベター。
 阿蘇地方から北東の方角へ、車でやまなみハイウェイをいくと、くじゅう連山・湯布を通り温泉の別府に到着します。南東の方角に車でいくと古事記の天孫降臨が伝える高千穂神社や高千穂峡があります。
南には平家伝説や五木の子守歌の五家荘(人吉)があります。西の方角には、古代の豪族菊池、山鹿とうろの山鹿、江田舟山古墳の玉名があり、細川の熊本城、西南戦争の田原坂、有明海をはじめ天草・雲仙に至ります。
また、さらに北東は、古事記 天の岩戸に繋がる岩戸山古墳の八女をはじめ邪馬台国や卑弥呼の地でわないかと言われている筑後川流域がひろがっています。  
・阿蘇山と雲仙岳を結ぶ東西線(臼杵−八代構造線)により北九州と南九州に分けられます。
 *阿蘇山と霧島山を結ぶ南北線により東九州と西九州に分けられます
 *阿蘇山−由布岳−両子山−姫島(火の道)
 *高千穂−祖母山−由布岳−雛戸山−米神山−御許山−宇佐(巨石の道)
 阿蘇地方の気候は真夏でも涼しく平野部とは温度が5〜10度も低い。盆地のため、春は穏やかで辺り一面淡い緑であるが、夏は緑濃く朝霧がでたり昼間は蒸し暑く雷が発生し易い、秋は朝夕冷え込み雲海が見られることもあり天高く高が咲き乱れ、木の実や落葉樹が色ずく、冬は空っ風が冷たく雪が降る 樹氷が見られます。
阿蘇の地名と開拓にまつわる伝承
  • 景行紀/日本書紀
    景行天皇は巡幸中、阿蘇の国に到着して、この国は郊の原が広く遠いが人影がないので「この国に人は住んでいるのか」とのたまわれました。この時、二人の神様が「阿蘇都彦と阿蘇都媛がいます。また、この国の号を阿蘇と言います」と答えました。
  • 釈日本紀
    大和朝廷に服属し閼宗の県(あそのあがた)とされました。
  • 阿蘇の阿は始まりとか祖とかの意味があります。わたしは阿蘇山が山として富士山と同様、大きく火山であるところから山の祖かなと思います。また、阿蘇は神の宿るところでもあります
  • アソ(阿蘇)とはアイヌ語で “火を噴く山”という意味と言う説もあります。(アサマも同じ意味)球磨地方には鮭もいたと言いますから、その昔、九州にも先住民族---アイヌ人が住んでいたと言うことになるかもしれません。アイヌと言えば、北海道の石狩に当別というところに阿蘇岩という山があります。地元ではアイヌ語で“柴山”とか“雑木の生えた山”という意味であり霊山として崇められているそうです。北海道には同名の山がいくつかあるといいます。ちなみに当別は明治維新時、戊辰戦争にやぶれた仙台藩一門の亘理(わたり)領主伊達邦成が、1870年(明治3)自費で集団移住し開拓したところです。かって阿蘇神社(阿蘇岩にちなむようです。祭神は九州阿蘇神社とは異なる)がありましたが、現在は当別神社と名称が変更になっています。
  • アソ アイヌ地名語ではas(立つ) so(床面) or(所) とは、床面が立った所、つまり断崖、絶壁という意味といいます。 まさに、阿蘇の外輪山斜面は、断崖絶壁で言い得て妙です。
  • 伊豆七島では山畑の境の山より方を、カミアゾ、ウワアゾ と言います。また、アゾはアゼと元は一つの語とも言います。

  • 青森県津軽平野に秀麗な、別名 津軽富士ともよばれる岩木山があります。ここも霊山です。古代、岩木山を阿曽辺盛(アソベノモリ)とも呼び、山麓に阿蘇辺族が住んでいたと云います。この人々は、火山、温泉および鮭を好んでいたようですが、九州から日本海を航海または山岳を移動して本州最北端のこの地まで移り住んだのでしょうか。阿蘇辺族は岩木山噴火により壊滅的な打撃を受け鬼と呼称されたのち、渡来系石神信仰のツボケ族に滅ぼされた。この岩木山麓の阿蘇辺族のことは、東日流外三郡誌(秋田の秋田考季、津軽の和田長三郎 編)には、「北アジアから南下、狩猟と漁労で生活、日輪、山および海を崇拝、踊りを主体にした祭りをおこなつた先住民族」と記載されています。また、東日流外三郡誌には猿田彦命は筑紫国先住民の国王であり、その後 渡来系民俗に征服されたといいますが、この猿田彦は阿蘇神社の御田祭り行列に加わっていますので、あながち嘘とは言えないのではないでしょうか。



  • 九州阿蘇周囲には、熊襲もいたと言います。阿蘇外輪山の北東地域には、土蜘蛛もいたといいます。つまり、大和朝廷から見て先住民族が住んでいたという事ではないでしょうか。
  • 栃木県安蘇郡野上村では種をまくとアゾ食うので困ると言うそうです。アゾとはヒワの事だろうとの事です。
  • .
  • 阿蘇山は、1400年前の隋書にも「有阿蘇山・・・・・」とありますから、古代より 阿蘇山と言われています。隋書倭人伝に「寿安鎮国山」として中国でも尊崇された。
  • 阿蘇とは古代インドの神“阿修羅”から来ているとも言われます。阿修羅は“阿素洛(あそら)”とも書き阿修羅の山、阿蘇山です。(仏教辞典)
  • 宮下文書によると、古代 富士山は日向高地火(ヒムカノタカチホ)と言われ別名として「阿祖山」ともいい、この場合の“アソ”は、燃えるとか煙とか言う意味だそうでマライ語と言います。
  • 阿蘇の地名や私の姓は、珍しいため普段から注意していますが、丹後半島の付け根にある京都府与謝郡岩滝町の天橋立の内海は阿蘇海(あそのうみ)といいます。この阿蘇海と阿蘇山は昔 日本海を黒潮に乗って交流していたのかと気になっていました。ところが、アソとはあそぶ、つまり足で歩くと言う意味があり、昔 天橋立の湾内であちこち足で移動して狩猟・採種・漁業・舞踏等をしていたところからアソブウミ、阿蘇海となったと言います。一方、阿蘇とは浅瀬との意味もあり阿蘇海とは浅い海ということになります。しかし、阿蘇海の深さは、実際どうであるのか分かりません。
     格言に良く学び 良く遊べ とありますが、あの遊べの本来の趣旨は、室内でゲームするとかではなくて屋外で 足をつかって野山をかけめぐつたりして遊ぶことだそうです。
     尚、阿蘇海では、マガモ・スズガモ・セグロカモメ・ウミネコ・ユリカモメ・ハマシギ・イソシギ・コクガン・オジロワシ等の水鳥が10月〜3月にかけて多く見られるといいます。また、9月初旬にはコハクチョウがシベリアから北海道を南下して飛来するそうです。
  • 古事記曰く、陰陽神イザナミはカグツチを生んだ時、ホトを焼かれて死んだとなっていますが、このイザナミのホトが外輪山で、生まれたもののイザナギに斬り殺されたカグツチを阿蘇五岳という解釈もあります。
  • また、黒川(火山灰が混じり黒い濁流であったところから黒い川)は、この時のナマズがはった跡と言います。また、鯰が流れ着いたところが鯰田で、その量が六荷あったので六荷村という地名も残っています。
  • 健磐龍命は湖水排出の後、農耕方法を村人に教え、矢を射って そこ矢村社を宮居にきめました。そして命は阿蘇津媛命を后とされ、107才で昇天し 火口に化身したと伝えられています。
          阿蘇谷東側(城山展望台)              阿蘇谷西側(城山展望台)
阿蘇五岳
 北外輪山(大観峰、象が鼻/北山/小嵐山および城山展望台)から見る阿蘇5岳は、涅槃像または、寝観音と呼ばれています。(下記の写真は小嵐山から撮ったものです)
  また、内牧 西方の兜岩からも中央火口丘や外輪山の展望が良い。
猫    岳(頭部に相当します)
根子岳の伝説
  • ネコとは古代語で石の意味でした。また別名 七面山とも言われました
  • 昔、根子岳に猫の王様が住んでいました。毎年、大晦日の晩に阿蘇中の猫を集め話し合いをしていましたが、どういう訳か集まった猫の耳は切り取られて帰ったと言います。
  • 猫だけは他の西の山に比べ背が高いことをよいこと に、高岳よりも高く頭を持ち上げ傲慢であったので、阿蘇大明神は怒って 竹箒で猫岳の頭をたたいたため鋸状の形になりました。
  • 麓の箱石行場で祈祷すると石の蓋が開き行者札が見えると言います。
  • ・標高1432mの先阿蘇火山群の一つで鋸状に浸食されています。天狗岩の絶対年代は15万年前と阿蘇3火砕流より堆積物よりも古く、低重力異常外で陥没していない山です。
高    岳(胸部)
高岳の伝説
  • 高岳頂上には、浅い円形の火口の跡がありますが、これは阿蘇大明神の乗馬である白馬の住処であり、中秋の名月の夜 姿を見せると伝えられています。
中   岳(胸部)
中岳(右側の方)          ・
  • 現在、噴煙を上げ時々爆発する活火山です。
  • 796年爆発。(日本後紀)
  • 平安時代初期に祈祷仏教が盛んになると、噴火口の異変が国家の災異の前兆として太宰府から中央政府に報告され神の怒りをなだめる措置がとられました。9世紀中頃、健磐龍命は九州では宇佐八幡大菩薩に次ぐ代表的な神となりました。
烏 帽 子 岳
草千里後方の烏帽子に似た標高1337mの山。
杵 島 岳(きしまだけ)



















蘇大明神はよくドンベイ塚(杵島岳)に腰掛けて、的石(内牧の西外輪山中腹の大岩)を的にして弓矢の武芸に励んでいました。鬼八はその矢を拾ってくる役をつとめていましたが、ある日のこと99本までは拾って戻ってきましたが、100本目は面倒とばかり足で蹴って返しました。

  • 阿蘇大明神は大変怒って鬼八の首を斬りました。鬼八は死ぬ前に、死んだら天に昇って霜を降らせ、五穀に害を与えると言ったそうです
  • その後、阿蘇地方は霜害に悩まされたので鬼八を神として霜神社に祀り、斬られた首が痛く暖めて欲しいと言うので火焚きの祭りを8月19日〜10月18日までの59日間13才以下の女の子が火を焚き続けます。また、東の方に鬼塚という地名があります
米塚(まん丸い古墳みたいな山)
噴火口のあとらしいですが、お米みたいな形で、へこみまであります。春になると燃えるような黄緑色になります。この米塚の地下には、コウモリの住む溶岩洞窟があるそうです。やさしい外観からは想像もできませんネ。
往生岳
本塚・北塚・灰塚
・上の航空写真に於いて左上の丘は本塚。右上は北塚。左下は灰塚。昔、浜城がありました。

世界最大級のカルデラをもつ阿蘇山
 かって阿蘇山は東の富士山とならび高さが1万mもある大火山でした。阿蘇山は阿祖山つまり山の祖−親を意味します。
  • 阿蘇山は陥没したくぼみとその中に誕生した中央火口からなる二重式火山(複式火山)で東西18q、南北25q、周囲128qです。約30万年(明石原人登場の頃)まえから大爆発と大陥没を繰り返しはじめ、9万年前にほぼ阿蘇の形が整いました。その後も5〜3年前まで大噴火・大陥没により300kuもの火山碎屑物を噴出しました。大カルデラはこれらの土地の大陥没によりができました。
  • そして、中央火口丘群として、阿蘇五岳の猫岳、高岳、中岳、烏帽子岳および杵島岳が連なった。最高峰高岳の高さは1592(ひごくに)m。現在は中岳から噴煙を上げている。写真は北側の小嵐山からみた山容であるが、お釈迦様が頭を東にして寝ている姿(東から西にかけ、写真では左から右方向)に見えることから阿蘇のねはんぞうと呼んでいます。
  • 現在でも、噴煙をたなびかせ時々、爆発したり地震を発生したりする活火山である。風向きにより刈り取る稲や干した洗濯物や白い食器にざらざらした粉末状のよな(地元で火山灰のことをいう)がつくことがある。子供の頃、よなの掃きおとしが大変だったっケ。猫岳は昔、化け猫がほうきでたたいたのでギザギザになったといいます。
  • また、阿蘇に生まれ現在 住んでいる神奈川県相模原の地下約20mには、約9万年前に大火山であった古代阿蘇山の火山灰(阿蘇4-ASO4)が数p堆積しています(実際に相模原市立博物館で顕微鏡でみるときらきらと輝く白っぽいガラス様であった)。
  • 遠く日本列島 本州の関東地方まで大噴火時の火山灰が覆っていたらしく感激した。轟音をあげ火と火山灰を吹き上げる富士山よりも高く天をつく火山・・・その日本列島をのし歩く巨大なマンモス、ナウマン象あるいはヘラジカたち・・・やがて三万三千年〜一万八千年前ころから、外輪山を石やりや弓矢をもってむらがる旧石器人・・・遙かの旧石器時代のことです。象が鼻遺跡では、狩りをしたであろう旧石器黒耀石 原石が見つかっています。
  • 阿蘇五岳は1万9千年前にできたとも言います。
  • とにかく、阿蘇は地震や雷もありますから、自然や神への恐れや敬いの文化社会が生まれ、私も そのような環境の中で育ちました。
外輪山
  • 3万年前に形成された阿蘇のカルデラを囲む環状山です。
  • 気温は熊本平野より3℃低くく、雪がふります。外輪山は北方の南斜面(北山)に杉を植林していますが、それ以外は度かさなる火山灰のせいか森林はなく草原です。ススキは多いですが、この草原は牛馬の放牧、苅り干し切りおよび野焼きにより保たれています。
  • 8万年前に外輪山が誕生して以来、中央火口の噴火が停止しました。そして、冬は北西風・西風が また、夏には南西風・南風等の季節風が運ぶ火山灰の影響を受け、千年前から野焼きや干し草苅りおよび放牧により草原が維持されてきました。
  • 外輪山からは、秋 雲海が見えます。
  • 昭和30年代、高原が雪に覆われる冬期は牛を自宅に連れ帰り飼育しましたが、飼料とする干し草を北外輪山の野原に家族と刈りに行きました。草泊まりといって野原で寝泊まりする場合もあったようですが、私の家は日帰りでした。夜遅く帰るとき見上げれば、澄み渡った満天のきらめく星・・・縦横無尽の方角に走り去る幾多の流れ星・・・の光景は晩秋になると思い出します。
  • 北側は北山(形から象が鼻とも呼称)と地元では呼んでいます。北山の南側に小嵐山があります。
  • 北西外輪山は大観望(936m)と呼ばれています。
  • 阿蘇五岳が眺められるところからとつけられました。
  • 昭和30年代、高原が雪に覆われる冬期は牛を自宅に連れ帰り飼育しましたが、飼料とする干し草を北外輪山の野原に家族と刈りに行きました。草泊まりといって野原で寝泊まりする場合もあったようですが、私の家は日帰りでした。夜遅く帰るとき見上げれば、澄み渡った満天のきらめく星・・・縦横無尽の方角に走り去る幾多の流れ星・・・の光景は晩秋になると思い出します。
  • 春は若葉いろ、夏は濃い緑色に変わります。飛行機からみると緑一色です。
  • また、本州から九州にはいり、更に熊本平野から阿蘇に入ると緑が段々濃くなり、草木の色の変化がよく分かります。
  • 阿蘇北・東の外輪山の草原の中には、低層湿原がありました。そこには100万年もの大昔、中国大陸や朝鮮半島から南下して来た56%ものヒゴタイ・キスミレ等が夏になると群生していました。阿蘇の固有種は20%、南方系9%らしい。







スカイ展望台
兜岩展望台





























  • 二重の峠


















阿蘇の七鼻
▲遠見が鼻(大観峰) 山田
▲象が鼻 中通
▲古城が鼻 三野
▲獅子鼻   坂梨


▲尾が鼻   中坂梨


▲松が鼻   内牧


▲妻が鼻   内牧


山・山岳
  • 鷲ケ峰
    高岳の北には生成が最も古い鷲ケ峰という絶壁の峰があります。ロッククライミングが出来ます。私が高校生時代に帰省したおり、登山しましたが、絶壁で足の踏み場がなくなり、ふるえがとまらずロープにへばりついて“ヘリコプターがこないかなァ”と、命辛々 登って、いや ロープで頂上のリーダからつり上げて戴きました。
  • 往生岳
  • 楢尾岳
  • 御竈門山(オカマド)
  • 鞍ケ岳
  • 矢護岳
  • 米塚
    • 火山砕屑丘で頂上には火口跡があります。
      (伝承)
        昔、米の山でした。阿蘇大明神は、多くの貧しい人に この米を施して いましたが、ある日、乞食が現れたので、頂上をすくって恵んだところ、 この乞食は神の姿になって昇天し、すくつた跡がそのまま凹んで残つた と伝えられています。
    • 近くにはコウモリが生息する溶岩洞窟が6ケ所あります。
阿蘇の八石
  1. 箱石−−−坂梨
  2. 癌石−−−坂梨
  3. 鷲の石−−山田
  4. 鼻ぐり石−−湯浦の原野
  5. 的石−−−尾ガ石
  6. 硯石−−−阿蘇山上
  7. 鏡石−−−阿蘇山上
  8. 境石−−−黒川と色見との境
阿蘇の観光・史蹟へのリンク
盆花
阿蘇地方の秋の七草の一種です。ヒゴタイをはじめとして阿蘇の草花は、氷河期前期(200〜80万年前)、氷河期中期(80〜15万年前)および氷河期後期(15〜1万年前)時代にアジア大陸と日本列島が陸続きになっていたとき、東北アジア(ホロンパイル草原)やチャンパイ山脈に自生していたものが寒さを避け南下し阿蘇に繁殖後、温暖化ののちも阿蘇高原に取り残されたようです。阿蘇高原は陸のガラパゴスであります。しかし、近年 環境の変化によりヒゴタイ等、絶滅の危機にあると聞き、阿蘇高原の自然が残ることを願わずにはいられません。
ヒゴタイ
   地元ではぼんぼんと言つていました。姫百合、がまの穂、おみなえし、ききょうがあります。現在、絶滅の危機にあるといいます
りんどう
   阿蘇高原に似合う紫色の清楚な花です。
その他の阿蘇の花々/木々
  • オキナグサ、リュウキンカ、イチリンソウ、ツクシショウジョウバカマ、ツクシシオガマ、バイカイカリソウ
  • シライトソウ、サワグルマ、マイズルソウ、ウシノケグサ
  • キスゲ、サワグルマ、アザミ、ミズギボシ、ノハナショウブ、ハンカイソウ
  • シモツケソウ、アソノコギリソウ、ホソバノヤマハハコ、ノリウツギ、サワフタギ、ツリフネソウ、キツリフネソウ、ホタルボクロ
  • ナナカマド
  • サクラソウ、キスミレ、イワカガミ
  • ホツツジ、ヤマホトトギス
  • ツクシシャクナゲ、ベニドウダン、ヒカゲツツジ、シロバナエンレイソウ

阿蘇の鳥
  • 雀、ヒバリ、ツバメ、モズ、
  • ウグイス、カッコウ、ホトトギス
阿蘇の昆虫
  • オオルリシジミ
  • カブトムシ
  • 糸トンボ、赤トンボ、しおからとんぼ、オニヤンマ
  • アゲハ蝶、ヒメシロチョウ、ヒカゲチョウ、ジャノメチョウ、アサギマダラ、ミズイロオナガシジミ、ヒョウモンチョウ、スジグロシロチョウ
原生林
北向山
(阿蘇地方)
・立野火口瀬の川向こうに広がる照葉樹林で覆われた300m〜8 00mの原生林で国指定の天然記念物となっています。阿蘇は  本来 草原ですが ここだけは有一の森林です。
・照葉樹林はイスノキ、ウラジロガシ群集でアオキ、ヤブツバキ、シ ロダモ、ヤブニッケイが生育しています。
・地元では北向山をさして、寝たら食われる(北向山に横になって 寝るとら猛獣に食べてしまわれる)と言い怖い山です。
菊池渓谷
(菊池地方)
・北向き山から北 15qには菊池渓谷があります。原生林の一つ です。
河川
黒川
  • 阿蘇谷の外輪山北東部麓を無田口・豆札から三野、手野、小嵐山、山田、小倉、内牧および三久保を西流し、さらに赤水、数鹿流ケ滝をへて立野の北向山原生林の手前で白川に合流します。約20qの流れです。雨の後、火山灰で川が黒く濁るので黒川といわれます。東岳川、古恵川、平保の木川、豆札川および宮川の支流があります。
  • 肥後 五河の一つで、阿蘇神宮寺の坊社近辺を流れたので坊中川とも言われました。健磐龍命が国造の時、阿蘇カルデラ湖の西側低地を蹴破った際、手野あたりに大鯰が水を堰き止めていたが、説得したところこの黒川を流れ落ちていったと言います。
小嵐山
阿蘇盆地外輪山の北に小嵐山(京都の嵐山を小さくしたような山からこの名がある)の前を流れる川は遙か古代、鹿を漬けていたのか鹿漬け川という。地元ではなまって“しっけがわ”といいます。
小嵐山の野仏
小嵐山の野仏
実家近くのお地蔵さん

鹿漬川
・川魚と貝類
おやにらみ、かまづか、あぶらめ(あぶらはや、タカハヤ)、どんこ、鯰、うなぎどじょう、タニシが子供の頃、捕れたが、今は岸壁がコンクリートになり魚影は少ない。 
小嵐山橋
子供の頃、貸ボート屋がありましたが、今はやる人がなくありません復活して欲しいものです。
なばのなき石
昔、竹原村に なばの生えた木をもって帰った馬鹿力の男がおました。鹿漬川に堰をして田圃に水を流す工事の苦役に刈り出されたが、ぼんやりしているのでみんなからののしられ泣きだしたが、泣けば泣くほど力が出て、泣きながら一人で造ったと言います。(昔話)
■東岳川(ひがした゛けかわ)
  • 阿蘇山の東の山 根子岳を源流として、宮地を通り中通で黒川に合流する黒川の支流です。上流で泉川を合わせます。
■西岳川(にした゛けかわ)
  • 阿蘇山の西の山 楢尾岳を源流として、阿蘇町坊中から、東岳川の西側を平行して流れ、内牧で黒川に合流する黒川の支流です。
■湯浦川(ゆのうらかわ)
  • 湯浦とは湯の涌く上流(浦)の川という意味です。阿蘇町湯浦を源流として、内牧で黒川に合流する黒川の支流です。
  • 杖立川
  • 山甲川
  • 樅木川
  • 蔵園川
  • 峡川(はげかわ)
  • 小園川
  • 山内川野川(やまんばのかわ)
  • 田の原川
  • 小田川
  • 中原川
  • 湯田川
  • 志賀瀬川
  • 満願寺川
  • 立岩川
  • 田中川
  • 産山川
  • 大蘇川
  • 大利川
  • 片俣川
  • 御伊勢川
  • 泉谷川
  • 池ノ鶴川
  • 横堀川
  • 遊雀川
  • 中久保川
  • 山崎川
  • 河原川
  • 牧戸川
  • 下切川
  • 栃原川
  • 神働川
  • 二津留川
  • 川走川
  • 柳谷川
  • 旅草川
白川
  • 南郷谷から立野で黒川と合流し有明海に注ぎます。阿蘇の南麓を源流として白水村から熊本市内を通り島原湾に注ぎます。外輪山の出口 数鹿流の滝あたりで黒川と合流します。長さ約78q。ハヤ、フナ、コイ、ヤマソが棲んでいます。
  • 肥後国風土記に、“閼宗岳の南より溢れ流れて白川に入れば、もろもろの魚は酔って死ぬ。土人(くにびと)苦水と言う”とあります。
  • 色見川(しきみかわ)
    • 上流に紺地の池という阿蘇大明神が衣を染めた池があり、色見はその色合いを見た場所と言う伝説があります。南郷谷の東北部 高森町の色見を西方へ流れています。
  • 上色見川(かみしきみかわ)
    • 上流を洗川ともいい、阿蘇大明神が染めた衣をそそいだと言う伝説があります。
  • 鳥子川
  • 渋谷川
  • 仮川
  • 高木川
    • 阿蘇から白水村を流れ祇園で白河に入ります。高い木々(神木)を流域に持つことから、この名があります。
  • 倶利加羅川
  • 保手ケ谷川
  • 古恵川
  • 泉川
    • 湧き水の川の事です。阿蘇山麓から発し、宮地で東岳川に合流します。
  • 山王谷川
    • 山王権現を祀る谷川の意味があります。烏帽子岳を源流として長陽村赤瀬で白河に合流します。
    • 垂玉川
  • 乙姫川
    • 阿蘇町乙姫の乙姫神社近くを流れ黒川に合流します。乙姫とは弟姫の事を言います。
  • 新井手川
    • 井は湧き水、手は横です。
緑川
  • 矢部から御船や下益城郡を縫って島原湾にそそぎます。かって、矢部の浜の館から緑川を下って、インドシナ付近まで交易していたと推測されています。
[参考文献]
 ・日本古典文学大系 風土記 岩波書店 S50.6
・熊本日々新聞社 地域学シリーズ@新・阿蘇学 S62.11
・松本ゆきお/松本幡郎 阿蘇火山 東海大学出版社 1991.6
line LN711
TOP button