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・阿曽 |
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| このページでは、全国の“アソ”という地名や山河名等を調べています。市町村統廃合による地名変更により既に無くなっているいるものもありますが、過去の記録や住民の記憶に留められているものもあり、それらを掘り出し古代人の足跡を探ってみます。ちなみに平成の大合併により平成17年2月 阿蘇郡一の宮町、阿蘇町および波野村が合併し阿蘇市が誕生しました。注@一部に公共施設等含む。 | ||
古事記は日本最古の歴史書(上・中・下3巻構成)。 古事記は、天武天皇が発案し、711年元明天皇の命により太安麻呂(〜723年)が、帝紀・旧辞を基に712年に編纂したと言いますが、この太安麻呂は多氏一族で家伝ではないかとも言われています。一方、平安時代の偽書とか後世の作ではないかとも疑われています。内容は一般に神話的で文学的な要素が強いと言われています。しかし、作り話の中にも真実が秘められていると確信しています。 ◇上巻:天地創造、神代 ◇中巻:神武天皇〜応神天皇 ◇下巻:仁徳天皇〜推古天皇 |
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中巻の神武天皇章によると、神武天皇の皇子は、@日子八井命A神八井耳命B綏靖天皇の3人います。 この中で、神八井耳命の子孫は、下記の19支族あったと伝えられます。 一説では、これら多氏の祖先は久米部隊(蘇人)ともいい九州の智保郷(高千穂・阿蘇)から大和国十市郡飫富郷(おう)に東遷した後、主に東国を中心として全国に移住したのではないかとも伝えられています。多氏の本拠地である奈良県磯城郡田原元町多字宮ノ内には、多神社(多座弥志理都比古神社=おおにいますみしりつひこ)があります。さらに多神社の西 橿原市飯高町字西垣には、小子部命/武甕槌命を祭った子部神社(こべ)、スガル一座を祭る小子部神社(ちいさこべ)があります。 ウマシマチ尊は父を饒速日命、母を長髄彦の妹とし、神武東遷後、大和王朝の行事等の基礎を創りました。その後、岩見国(島根県)へ移住したと云います。 『上代日本正史』原田常治著によると、出雲/大和族である布都御魂の子 素佐之男尊の第五子がニギハヤヒ尊(大物主神)で娘 伊須気依姫(御歳神)は、伊邪那岐命/伊邪那美命→天照大神を祖とする日向一族である神武天皇と結婚し、皇子 八井耳尊のまた皇子が阿蘇神社に祭られている健磐龍命になります。 また、健磐龍命は高千穂から阿蘇谷に向かう途中に幣立神宮や草部吉見神社に立ち寄った。健磐龍命は草部吉見の姫をお嫁さんにもらった。ちなみに 八井耳尊の子には古事記著者の太安万侶の祖先である多臣→おお臣がいらっしゃいます。 私がアソの地名で調べているのは、この おお臣や八井耳尊の子が大和を経由して近畿、東北に移住している確証を阿蘇神社やアソという地名でつかもうとして探しています。 一方、『先代旧事本紀』は、藤原不比等(朝鮮半島か中国大陸からの渡来人?)により抹殺された本来の大和朝廷の豪族である物部氏、大伴氏等の伝説を伝えています。ニギハヤヒ尊は天磐船にのり河内国河上哮峰に天降った後、更に大倭国鳥見白庭山に移り住み、鳥見(三輪山付近)の豪族であった長髓彦の妹 御炊屋姫を妃として大和(トミまたは秀真国)を治めました。神武天皇は東遷したときニギハヤヒ尊の兒 ウマシマチ命から統治権印の端寶十種を継承したといいます。 尚、物部氏の支族には、穂積氏、三河国造、小治連、宇治部連、交野連、六人連、倭志、紀連、若湯坐連、小市直、駿河国造等約80あります。 |
![]() ◆九州 高千穂・阿蘇⇒
◆奈良県十市郡 ⇒
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| ■阿蘇野 大分県大分郡庄内町阿蘇野
■宮崎県東臼杵郡北浦町 ![]() 日向灘側にあります。良港でハマチの養殖が行われる半農半魚の町のようです。南海上の無人島高島は亜熱帯性のビロウの自生地の北限です。 ・ここには阿蘇天神社があります。 |
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■宮城県本吉郡志津川町阿曽![]() ■福井県敦賀市阿曽 (アゾ)若狭湾 野島岬と越前岬の間にある黒崎の北方。神社、仏閣あり。 ■兵庫県揖保郡太子町 阿曽 兵庫県揖保郡太子町 下阿曽 ![]() 播磨国 揖保郡太子町の阿曽。また、播磨国には聖徳太子ゆかりの斑鳩寺があります 高砂も阿蘇と関係があります。 ■阿曽(アソ) 兵庫県赤穂郡上郡町 ■岡山県総社市 西阿曽、東阿曽
■岡山県美作町安蘇
■阿曾毛(アゾウケ) 岡山県新見市 ■阿曽淵(アソブチ) 岡山県新見市 ■阿曽池(アソイケ) 岡山県小田郡矢掛町 ■上阿曽(カミアソ) 岡山県苫田郡鏡野町 ■阿蘇岩(アソイワ) ⇒北海道石狩郡当別町 ![]() 石狩湾・平野を一望できる雄大景観。主峰418m柴山(アイヌ語で柴木の多い山 )と言ます。道内にはあちこちにあり霊山(「アイヌ語地名リスト」H13.3北海道環境 生活部刊行 (財)アイヌ文化振興研究推進機構) 石狩川や当別川近くにはアイヌがコタンをつくり鹿やさけを獲っていました。古代 には竪穴式住居にすみ石鏃をもちいていました。(当別史) 仙台藩主 伊達邦直は戊辰戦争後、1871年 当別を開拓しました。M29年 伊 達邦直命を祭神として村社阿蘇神社を創立。その後、S42年に当別神社と改称 されました。“あそ山のしげる木立をふみわけて住み見し月の今も替わらず”(伊 達邦直)(出典:参考:「わたしたちの当別」当別町郷土読本研究委員会偏、「当別 の歴史を刻む碑」鍛冶俊幸編集発行) ■阿蘇岩山(アソイワヤマ) ⇒北海道厚田郡厚田村 (石狩市)厚田村は、本州からの入植者が開墾した地域であり、“望来”地区では北海道 では珍しい獅子舞が残っているそうです。尚、現在山頂には自衛隊の基地があり 立ち入れないそうです(地元Kさんの報告) ■阿蘇ケ岳 ![]() ⇒青森県南津軽郡大鰐町 温泉が多いところです。
■阿蘇辺の森 ![]() ⇒青森県の津軽富士とも言われる秀麗な岩木山(いわきさん/いわきやま)は、その昔“アソベの森”と呼ばれていたようです。“アソベ”は一説によると「火を噴く」の意味があり、「火を噴く森」という事になります。また、岩木山は「往来山」、「岩木山」、磐椅山とも記されました。 現在、岩木山麓を走る道端に“アソベの森”と記された標識がありました。<岩木山を望む>
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■阿蘇台(アソダイ) ⇒東京都小笠原支庁小笠原村 ■長野県(塩田平) 安曽(宗)郷 ⇒上田市古安曽
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■阿蘇沼 千葉県 阿蘇沼 ![]() ⇒八千代市村上 阿蘇沼の鴛鴦伝説 今から約846年前(1156年)平安時代中期と言いますから平氏が勃興した保元の乱の年頃の事、下総国に阿蘇沼と呼ばれた沼沢地がありました。 この沼沢で平入道真円なる者が一羽の雄の鴛鴦を射落としました。 その夜の事、美しい女が訪れ「日暮るればさそいしものを阿蘇沼のまこもがくれの一人寝ぞうき」と嘆き悲しんで歌を残しました。 翌朝、その雌の鴛鴦は、昨日射止めた雄の鴛鴦のくちばしと合わせて冷たくなっていました。 あわれと無情を感じた真円は、この阿蘇沼のほとりに正覚院を建て鴛鴦の菩提を弔ったと伝えられ現在、境内に鴛鴦塚が立っています。 この阿蘇沼は印旛沼からの川が流れる低地から岡になった所の高台にあります。 治22年印旛沼郡の村上村、米本村等の7村が合併して阿蘇村が成立しました。阿蘇村のいわれは、「佐倉風土記」(磯部昌言 1722年作成)中の“阿蘇沼之事”という伝説によると伝えられます。阿蘇沼は、この村上地区に在ったようです。(参考:八千代市立博物館) ■安蘇郡 栃木県安蘇郡
・阿蘇沼に鴛鴦夫婦が住んでおり、漁師が雄を捕らえて帰った夜、夢に美女があら われてなぜ夫を殺したのかと泣いた。翌朝、沼へ行くと雌の鴛鴦が嘆き悲しみ死 んでいた。漁師は感じて出家したという。(沙石集)、(古今著聞集では陸奥の国 赤沼の事ともいう) ■安蘇川橋(アソガワバシ) 栃木県佐野市 ■安蘇沢(アソサワ) 栃木県日光市 ■阿曽: 宮城県本吉郡志津川町 ![]() 阿曽集落が志津川湾と気仙沼間にあります。阿曽神社は見つかりません。 安蘇郷:宮城県色麻町
■阿蘇郷 山形県阿蘇郷 ![]() |
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| ■山梨県南巨摩郡南部町 阿曽(アソ) |
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| ■阿蘇海(アソカイ) 京都府 宮津市
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| ■静岡県 庵原郡由良町阿僧 ![]() |
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| ■阿曽浦(アソウラ) 三重県度会郡南島町阿曽浦 ![]() |
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| ■阿曽 三重県度会郡大宮町阿曽 ![]()
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| ■阿曽 (アソ) 三重県度会郡大紀町 |
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| ■阿曽保 岐阜県吉城郡神岡町阿曽保 ![]() |
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| ■阿蘇谷道 岐阜県/三重県/滋賀県境の三国山付近に阿蘇谷道
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| ■神岡町阿曽保(カミオカチョウアソボ) 岐阜県飛騨市 |
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| ■阿蘇田 福島県須賀川市横田阿蘇田 |
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| ■阿曽原谷(アゾバラダニ) 富山県黒部市 ・阿曽温泉小屋、阿曽原峠がある。 |
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| ■阿蘇 愛媛県今治市菊間町河之内阿蘇 |
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| ■阿蘇山(アソヤマ) 福岡県朝倉市 筑後川の近くにある低山(200m) |
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| ■阿蘇(アソ) 長崎県諫早市多良見町化屋阿蘇 |
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| ■下阿蘇 長崎県諫早市多良見町化屋下阿蘇 |
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| ■阿蘇入 大分県大分市宮河内迫阿蘇入 |
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| ■阿蘇野 大分県大分郡庄内町阿蘇野 |
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[参考文献]・長野県上田市誌 歴史編(3)東山道と信濃国分寺 |