銅鐸や土偶
(目次)  祭器  銅鐸 土偶 銅鏡
 ☆縄文時代の土偶、弥生時代の銅鐸および古墳時代にかけての銅鏡・銅剣は日本の七 不思議です。
銅鐸
用途・時期
  • BC1世紀から弥生時代に用いられた。出雲の加茂岩倉遺跡から広がった
  • 弥生時代に近畿を中心に、南方系の農耕民が銅鐸をもちいて稲の豊作の祈り感謝をおこなった。自分の田畑は守ったが、他民族は攻撃しなかったようだ。
  • 鳥取県淀江町の稲吉角田遺跡からBC1世紀 弥生中期に製造絵土器片には、鳥の羽を頭につけた鳥装の男達が祖霊・稲霊を迎えに舟を漕いでおり また稲倉や鳥竿があり、木のしたに木偶がおかれ、枝には銅鐸がつるされている絵が描かれていた。
  • (一方北方系の騎馬民族・牧畜民族は鉄器等の金属器を使用していた)
  • 水の神の祭りに使用した。
  • つるして中の舌が外にふれて金属音をかなでた。
  • 加茂・三輪族の祭器。
  • 八千矛の神(大国主の命)の神宝。
  • 土地の霊に奉献。
  • 神山の祖霊祭祀の依代。
  • 中国の殷・周時代では武事(戦争)に金鐸(鐸の内側の舌に金属を使用した)、文事(平常時)に木鐸(鐸の内側の舌に木を使用した)を使ったという。また、木鐸という言葉の意味は、約2500年前の孔子時代では「高い志や見識をもって社会を導く」であったともいう。
文様・絵画
  • 絵画---銅鐸500個の内、絵画があるのは60個(12%)で、人、鹿、鳥の図柄。
    • トンボ
    • カエル
      • 500個の内数例。(1%)
      • (例)銅鐸(弥生時代中期 二段階目 外縁付紐式 四区袈裟襷文 高さ21p 幅14.5p 640c)下方面にカエルの絵。
    • 魚、亀
    • 稲魂と祖霊を運んでくれるのは、春来て秋に帰る渡り鳥の鷺。
    • 鹿
      銅鐸に描かれている鹿には角がないことから、鹿の角は春に枯れおちて生まれ変わる時期、つまり春の種まき、田植えの前祝いを描いている。
    • 大陰的な世界観をもつ。太陽よりも月が重要視されていた。
    • 狩人、四足獣、犬、猪
    • 杵都と臼で脱穀する2人
    • 高床式建物、舟
  • 文様
    • 袈裟襷文:島根県加茂岩倉
    • 流水文 :島根県加茂岩倉、鳥取県泊村池ノ谷
    • 横帯文
    • 鋸の歯
特徴疑問点
  • 銅鐸は銅矛・銅剣と同様に平べったくて、目形なのか。
  • 穴があいているところから、本当に冬至や夏至の日の出を観測したのか。
  • なぜ大型化したのか。
  • 副葬はされていない、単独または銅剣・銅矛と埋納されている
  • 聞く銅鐸から→眺め見る銅鐸→仰ぎ見る銅鐸へ変遷したのか。
  • なぜ副葬されず、埋納されたのか。
  • 5000年まえの土偶が山梨県釈迦堂遺跡から出土したが、建物がちゃんと建つように掘ったて柱の真下に土偶の頭部が埋められ柱の横にも埋められていた。つまり、人柱の考えが縄文中期からあつたと言えよう.
  • 磐座のそばから出土する。
  • 加茂/鴨、三輪/美和の地名や神社から出土する。
  • 楽器としても使用されたようですが、祭器でもあったらしく確かな用途が不明です。
  • 文様は象形文字というより、表意文字ではないか。
  • 形がユニークで神秘的。又、金色であったであろうの色が美しい。
  • なぜ山の斜面の地中に浅く埋められたのか。なかには意識的に壊したりして埋められていますがその理由が分かりません。
  • 3世紀頃、邪馬台国の卑弥呼の時代に突然、表社会から姿を消し、そして人々から忘れ去られました。打ち抜かれ地中浅く横に埋められる。
  • 外国には馬鈴とか出土していますが、見る銅鐸は見つかっていません。袈裟襷紋銅鐸(兵庫県神戸市桜ヶ丘遺跡、香川県)
名称・構造
  • 銅鐸と呼称されたのは、713年(和銅6年)に記録がある。7,8世紀頃、つき鳴らす鐘と揺り動かす鐸とは呼び分けていた。
  • 吊り手(鈕)、身の上面(舞い)、型持ちの孔、鰭、身(鐸身)裾、型持ちの凹入
  • 初期の銅鐸はつるして舌で音を奏でるために小型が多かったが、その後、大型化し飾り立て見るためのものに変わっていった。中空で厚さ2oと薄い。初期の段階では、石の鋳型で作り、その後、土の鋳型で作成した。
  • 銅鐸の変遷
    • 668年:滋賀県大津市寺から宝鐸(高さ165p)
    • 757年:正倉院の銅鐸---聖武天皇一周忌の仏具、幡
    • 土鈴
      • 黄河流域で粘土で6000年前、鳴り物を製作していたが、3900年前、青銅製の鈴になつた。中国では吊り手でさげるカネを鈴といい、神を招き人や家畜を守る役割を果たした。また、小さい球形の身の中に丸を入れたカネも鈴といった。
      • 馬鈴:殷の銅鈴。身の片側または両側にはみ出し部分 をつくり鰭をつけている。殷、周代以来、カネが神を天から呼び招く力をもつと信じられた。
      • 宣牛羊鈴:牛や羊につける鈴。健康で子宝に恵まれる。
    • 朝鮮式銅鈴
      • 弥生時代後期の別府遺跡(ビユウ)住居跡から高さ11.6pの平たく押しつぶされ廃棄された朝鮮式小銅鐸が発掘された。(BC2世紀に伝来)廃棄された理由としては、集落が首長の死によつて移動した上、大和政権の祭祀方式が変動したため。
      • 弥生時代中期には、北九州で模倣小銅鐸が生産されていた(大分市多武尾遺跡から出土)
      • 朝鮮半島:祭りの鈴、2500年前、呪術者が身につるして鳴らす15pの小さい銅鈴があった
      • 銅鐸は朝鮮式小銅鐸が原型。
    • 馬鈴
      • 古墳時代には、銅鐸はすたれ馬鈴になった。
    • 銅鐸祭祀の終焉
      • 銅鐸祭祀は弥生時代後期にかけ大型化したが、銅鐸をもちいた集団祭祀から、首長の権力が大きくなり墳丘墓・古墳造営による鏡を主体にした首長霊祭祀へ移行し、新しく出来た大和朝廷の風習と異なり、土中に埋納されたままとなった。
鈕種類−−−吊り手()の形状から分類
NO 区分 特徴 時代 出土 サイズ 展示場
@ 最古段階 菱環紐 BC3 22.3p 東京国立博物館
A 古段階 外縁紐 BC2 兵庫県豊岡市/ 44.3p
B 中段階 扁平紐 BC1 香川県 43p
C 新段階 突線紐 AD1 滋賀県野洲町  134.7p
成分・形状
  • 青銅(銅に錫を加えた合金)、製造直後は金色に輝いていたが時をへて緑色に錆びている。錫が少ないと金色になり、多いと銀色になる。
  • 釣り鐘の形をしている。
  • 銅鐸の約11%には表面が4つ〜8つの区画に分かれそれぞれに絵や紋様が描かれている。天と地がある。平面的でそれぞれは独立し重ならない。斜め逆さまにも描く。
  • 人間男女、狩人、きねをつく人、鹿、猪、トンボ、サギ、スッポン、カエル、カマキリ、蜘蛛、魚、イモリ、カニ等の特徴をつかみ単純な線で絵記号風に表現されている。舟、高床式家、臼、右渦巻き紋もある。
出土状況
  • 最古の発見は668年(天智天皇7年)、滋賀県大津市の北に崇福寺健立の工事中に発見された。当時既に銅鐸と呼称した。またこのとき、夜中に光る白い石も発掘された。(扶桑略記)
  • 平安時代に再び発掘され日本書紀に瑞兆(珍しい物)として記載された。
  • 9世紀までに8個出土した。現在までに長野県から西日本地方にかけて四国を含み出土しているが、九州は少ない。
  • 海、湖あるいは川に近く村から離れた山や丘の斜面等の丘陵地から横に寝せた状態で、複数個発見される。最近は村の平地でも出土されている。3個入れ子の場合や木に納めた場合もある。鰭を垂直にして横たえている。まれにやしろの中や、日本海側で岩の裂け目からの出土れいもある。
  • 島根県神庭荒神谷では、銅矛と一緒に埋納されていた。
  • 木箱に納めて埋納されている場合もある。
分布
  • 吉野ヶ里遺跡で九州初の高さ28pの銅鐸が発掘された。(1998.11.17)
  • 銅鐸は弥生時代に祭祀で用いられた道具。西日本に多く分布しているが近畿、東海、中国、四国東部および九州北部から出土。
  • 近畿地方を中心に、西は島根・広島加川高知、東は福井・長野・静岡である。特に河内では鋳型が見つかり古くから製作されていた。土器の流水紋から銅鐸の流水紋へ展開された。播磨は鋳型がみつかりお地蔵さんとして祭っていたりして鋳造では重要な位置を占めている。
  • また、福岡・佐賀でも型破りな紋様を持つ銅鐸を製作し、岡山までもたらされたている。近畿の鹿の体が斜線模様の影響もうけている。また、北部九州でも祭っていた。尚、北部九州には朝鮮から銅矛・銅剣・銅戈が伝わっている。矛形祭器は北部九州の象徴的祭器となった。
製作方法
  • 石や土で外型/中型の鋳型を作る。
  • 外型の内側に文様・絵画を刻む。
  • 青銅を溶かし鋳型の間に流し

 通常の鏡は、明暗のさかい目を写す境が語源で金属で製作したカガミ。 用途とし   ては姿見、呪具、祭器、神宝、ご神体、装飾、魔除け、祈願、奉納品および鎮魂が   あります神話の天照大神、日本武尊が持っていたと伝えられています。オオヒルメ   ノミコトとツキヨミノミコトは、イザナギノミコトの白銅鏡から生まれました。(日本書紀    )

  • 鏡の変遷
    • 石器時代の顔を写すカガミとしては、水カガミ---鑑がありました。
    • 鏡は第一段階として、縄文時代以前の金属がない時代は石鏡(以降 呼称)であり、黒曜石で製作していたらしいく、黒曜石の縁取りした物が出土しています。日本ではまだ発掘されていないようです。
      • 用途としては、もちろん顔を写す化粧のため。
      • BC6000年 トルコ アナトリア高原のチュタル・ヒューク遺跡の巫女墓から呪術副葬品。
      • インカ文明遺跡から通信具が発掘。
      • また、石炭製もあったといいます。
    • 第二段階として、銅製/青銅製の銅鏡、鉄製の鉄鏡等の金属鏡(以降 呼称)が現れます。
      • 用途としては、顔を写す化粧のためもありますが、むしろ呪術、神の依り代、服飾品および副葬品(遺体の守り)として使用されたようです。
      • BC4000年 エジプト第6王朝墓から青銅製の柄鏡形化粧用具。
      • イラン スーサ遺跡
      • モヘンジョダロ遺跡
      • BC1300年 中国 河南省 殷墟から円形紐付青銅製鏡が出土され、珠文帯・綾杉文様。その後、漢代に最盛期を迎え、唐代に彩画、金銀貼、七宝が組み込まれました。呪術具として用いました。
    • 現在は第三段階として、ガラス製の鏡が用いられています。
      • 用途としては 顔を写す化粧のためと推測します。
    • 日本では土製、石製の鏡の模造品が製作されました。

銅鏡
  • 今思い出すと昔、家のタンスの中に緑色の丸い青銅器が銅鏡だったのではと驚く。バラバラの破片もあった。きれいにしようと水洗いして部屋の中に干していたのだがいつの間にか干していたことも忘れてしまい、もう影も形もない。従って、倣製鏡だつたのか、舶来鏡であったのか もしかして三角縁神獣鏡だったのかも認識していない。1500年前の遺物などとは思いもしなかった。もし、初対面の時、銅鏡に対する知識があれば、認識・分類できたと残念である。知識があれば大きな発見が出来るが、無ければ鉄屑としか、石器であれば ただの石ころ、土器であれば 鉢の破片にしか見えない。
  • 子供の頃、阿蘇で銅鏡の破片を見たが、直径7p程度で、表面はくすんで顔ははっきり写らなかったようだ。昔の女性はこのようなもので良く化粧ができたなと不思議でした。
  • 三種の神器の一つ八咫の鏡
    天照大神が天の岩屋に隠れ磐戸を閉じたので神々の世界は真っ暗となったが、八百万の神が対策を練って、岩窟の前にマサカキの木を立て、それに様々の祭器をつり下げ祭りを行うことにしたが、この時、造られた(石凝姥命 作製)のが三種の神器の八咫の鏡(古代中国のの長さの単位として約49pの大型鏡)です。つまり、八咫の鏡は高天原で製作されました。(つまり舶載鏡?)。
  • 天照大神は自分の替わりとして、天下りに際してニニギノミコトに授け、さらに神武天皇の東征に伴って大和にもたらされました。しかし、崇神天皇の時代に別の場所に移され、その次の垂仁天皇の時にヤマトヒメに守られて伊勢に祭られるようになりました。
  • 683年 大和国城下郡鏡作郷には鏡作坐天照御魂神社があり、鏡作氏 祖神石凝姥命が奉斎されています。
  • 特徴/用途
    • 中国から渡来したもので、後に国内でも模倣して制作された。弥生時代から古墳時代にかけて特に日本では重宝がられました。現在でも鏡師により、神社用に神鏡が製作されています。
    • 国内では約3000枚が出土しています。
    • 首長の威信財として墳墓に副葬される
      • 銅鐸とは用途が逆になつています。
        従って、葬送習俗が衰退した古墳時代末期には用いられなくなりました。
    • 卑弥呼の時代に、木等にかけて太陽の光を反射させて民衆を怖がらせ、太陽を信仰する祭器として用いていました。
    • 鏡は太陽信仰に繋がる物で、神社の神の依りしろとして、あるいは神宝として崇められました。
    • 近畿地方では神威の象徴として保持されました。
    • 弥生時代後期から古墳時代前期にかけては鏡片を装身具とした習俗がありました。
  • 銅鏡の成分
    • 銅、錫、鉛
    • 鉛の同位体比のグループとしては
      • 日本グループ
      • 華南グループ
        • 呉鏡
      • 華北グループ
        • 前漢、後漢(方格規矩鏡・内行花文鏡)、日本弥生時代の倣製鏡、魏(景初三年鏡)
種類
舶載鏡(はくさいきょう)
−中国や朝鮮半島から船で運ばれてきた鏡です。BC2世紀頃、前漢から九州へ円形の多紐細文鏡が渡来しました。
名称 読み方 時期 製造地 特徴/出土地
多紐細文鏡 たちゅうさいもんきょう 弥生時代前期末 朝鮮 日本に初めて朝鮮半島で製作された鏡が渡来。
紐が2個ついている。
凹面鏡呪術用具で銅鐸と埋納された
連弧文連帯鏡 れんこもんれんたいきょう 弥生時代前期末 中国 権威の象徴であった宗教儀式に使う呪具。福井市花野谷1号墳から天王・日月銘三角縁獣文帯四神四獣鏡と出土。
精白鏡 せいはくきょう 弥生時代中期末 前漢 北九州、甕棺墓副葬
昭明鏡 しょうめいきょう 弥生時代中期末 前漢 北九州、甕棺墓副葬
方格規矩四神鏡 ほうかくくきししんきょう 弥生時代中期末 後漢 ・北九州、甕棺墓副葬
・古墳時代古墳
流雲文縁方格規矩氏四神鏡 りゅううんもんえんほうかくきくししんきょう 弥生時代後期 王莽〜後漢 西日本
内行花文鏡   (長宜子孫(ちょうぎしそん)銘 ないこうかもんきょう 弥生時代後期 王莽〜後漢 西日本
・古墳時代古墳
三角縁神獣鏡 さんかくぶちしんじゅうきょう 古墳時代前期 三国時代(魏、晋) 卑弥呼が魏王朝から授かる(邪馬台国)但し、中国では出土していない。円形凸面鏡で鏡縁が三角形、霊獣・神仙文様
・三国六朝鏡
・白銅製
・同笵鏡が多い

・4世紀には副葬品となる
家屋文鏡 古墳時代前期末 竪穴・高床・平屋住居
狩猟文鏡 古墳時代前期末 舞踏、模擬戦
神獣鏡 しんじゅうきょう 古墳時代中期末 中国南朝 古墳の副葬品
画像鏡 がぞうきょう 古墳時代中期末 中国南朝 古墳の副葬品
三国六朝鏡 さんごくりくちょうきょう 古墳時代
海獣葡萄鏡 かいじゅうぶどうきょう 飛鳥時代 ・隋鏡
唐鏡

















八陵鏡

唐花双鸞鏡
とうきょう

















はちりょうきょう
とうかそうらんきょう
奈良時代
平安時代
・遣唐使による中国との交易
高松塚古墳、正倉院遺品
・社寺堂塔の荘厳具の祭祀用具

螺鈿鏡(らでん)---貝殻を漆で張り付け
金銀平脱鏡(きんぎんへいだつ)---細工した金銀板金を張り付け。
瑠璃鈿背鏡(るりでんはい)---七宝を施した。(瑠璃鈿背十二稜鏡
装飾や魔除けとしての鏡55面が聖武天皇の遺品として正倉院に収蔵。
寺院建立時に永劫祈願して鎮壇具(魔除け、地の神鎮魂)の一つとして埋める。仏像の荘厳創出、天蓋飾りおよび仏像胎内納入鏡。
湖州鏡 こしゅうきょう ・宗代のシンプル・粗雑な鏡
(方形、六/八花形、円形、枝鏡)
倣製鏡(ぼうせいきょう)
国内で舶載鏡の図像文様を模倣して制作しました。
名称 読み方 時期 製造地 特徴
倣製鏡 弥生時代後期 北九州 ・前漢鏡を模倣
・小型粗製であった
弥生時代後期 瀬戸内海
古墳時代 畿内 ・三国時代鏡を模倣
直弧紋鏡 ちょっこもんきょう ・日本独自の文様
・錫の含有率が低く呪術具
6〜7世紀 ・製作の衰退
海獣葡萄鏡 かいじゅうぶどうきょう 隋鏡
唐鏡 とうきょう 奈良時代/平安時代 ・遣唐使による中国との交易
高松塚古墳、正倉院遺品
・社寺堂塔の荘厳具の祭祀用具
和鏡
名称 読み方 時期 製造地 特徴/出土地
六鈴鏡 れいきょう 古墳時代後期 日本 ・外縁に4〜10個の音が出鈴が付加された
・巫女が腰に下げた
・祭儀具
奈良時代 ・山岳信仰として山への奉納、魔除け
瑞花双鳳鏡 ずいかそうほう 平安時代 ・9世紀には唐鏡の唐花双鸞を参考に和鏡作製。瑞花と双鳳模様の八陵鏡で経塚に埋納。
瑞花鴛鴦鏡 ずいかえんおう 平安時代 ・9世紀には唐鏡を参考に和鏡作製瑞花と鴛鴦(おしどり)模様の八陵鏡で経塚に埋納。
家鳥鏡
松鶴鏡
平安時代 ・化粧道具、映像具
・神社の神宝

・鏡像:鏡面に神仏像を線刻、墨絵表現し礼拝した。
懸仏;鏡面に仏像を付加
藤原鏡


松喰鶴鏡
ふじわらきょう

まつはみつる
平安時代後期 ・平安貴族向けの自然の写実的な文様の円形小型10p化粧道具
鏡は末法思想による経塚埋納時に経巻を悪霊から守る

・松と鶴の文様
鎌倉時代 ・錫と水銀を鏡面に塗布した。
牡丹蝶々鏡 ぼたんちょうちょうきょう 鎌倉時代 ・鏡胎や縁が厚手で幅広く紐も大きく重量感がある。写実的で技巧的。
・鹿児島市新田神社
蓬莱鏡 ほうらいきょう 鎌倉時代 ・佐原市大戸神社
擬漢式鏡 ぎかんしききょう 室町時代初期 ・末梢的な技法・鋸歯文、櫛目文帯
瑞花双鳳鏡 ずいかそうほう 室町時代 鋸歯文、櫛目文帯
枝鏡
南天柄鏡
えかがみ 室町時代後期 ・宋・明の影響
・湖州鏡、薄手無文素紐宋鏡
円鏡に長い持ち手。
江戸時代初期 ・紐が不要のため絵画文模
江戸時代中期 ・生型鋳造法を利用し多量生産
江戸時代後期 ・鶴亀、松竹梅、南天、家紋および寿 文様が採用
明治時代 ・ガラス製に取って代わられる
  • 文様
    • 瑞鳥(四霊)
      • 鳳凰---高貴な貴人の象徴。
      • 麒麟
      • 龍---皇帝のシンボル。。雨龍は雌龍で角と鱗がなく。
  • 金属鏡の手入れ
    • 銅・青銅製の鏡はガラス製とちがって金属材料を用いているため錆びますから、曇ったら磨く必要がありました。
      • 弥生時代〜奈良時代−−−不明。
      • 平安・鎌倉時代−−−カタバミを用いて磨いた。
      • 室町時代−−−−−柘榴(ざくろ)を用いて磨いた。
      • 江戸時代−−−−−水銀、砥の粉および梅酢を混合した磨き粉を用いたようです。越中氷見の老人が特に摂津〜関東地方にかけて、磨き粉、蒲の葉製磨袋、朴木炭(ほおのきずみ)、わらたわしおよび磨き石を携帯して磨いた。

石偶/岩偶
日本では旧石器時代後期に作られた石製の人型人形。。日本ではヒトガタとしては縄文時代では愛媛県上黒いわ岩影井席の刻線礫像が古い。
  • 大分県岩戸遺跡
    2万年前の旧石器時代後期こけし形で頭が丸く目と口が掘られている、体は棒状である。シベリア バイカル湖 マリタ遺跡からもヴィーナス像が出土している。
土偶
  • −土器が始まる前に沖縄をのぞき北海道から九州までの地域で製作された、人体をかたどつた土製品。主に縄文時代草創期から1万年にわたり、主に東日本で製作され、約2万個も出土している。当初は角や石を材料にしたが、土器の発達と共に土器製品となった。土偶精霊として、土偶は新しい生命を生み出す力を持つ精霊が宿る依り代であった。
  • 縄文時代の女性は働き者であった。家事や子供を生み育てる一方で、日々の食料確保のため木の実や山菜の採取、保存、あく抜きそして調理を行った。また、自然の恵みを感謝し食料の豊穣や子孫繁栄を願って土偶も製作した。縄文土器の製作が始まってからは、そのとき、余った材料を用いて技術でアクセサリーや玩具用を作ったと思う。
  • 土偶は女性を守るお守りであった。その後、鉄と稲作が本格的に始まった弥生時代には、土偶製作がすたれてしまった。弥生時代になると、銅鐸や銅剣等の銅製品へ取って代わられた。これらの銅製品は男子が製作にたづさわり、女性は巫女の役割をもつように変化していった
    世界的に古い土偶としては、2万6千年前のチェコ ドルニ・ヴェストニッツェ遺跡出土がある。
    日本の土偶では縄文時代草創期 三重県粥見井尻遺跡のものが最古である。。
  • 土偶の特徴
    • 形態/製作
      • 全て女性像である。体は成人であるが顔は幼児である。
      • 大きさはペンダント程度から置物型まで大小色々ある。
      • 製作に巧妙精緻なものから子供の玩具程度まで色々ある。
      • 顔や全体が平板的タイプ、中が空洞で太ったタイプおよび筒形タイプ
      • 土板、岩板に変形した物もある。
      • 目や口にアスファルトをつめたり(岩手県)、アスファルトで修理(宮城県)した土偶もあった。
    • 出土状況
      • ゴミ捨て場、貝塚等に無造作にすてられている。
      • 手足等を破損させて捨てられている。
      • 河原の石がこいの中。
      • 縄文後期以降になると、北海道で土こう墓や墓域から出土している。
    • 外観
      • 裸体と縄文衣服を着たケースがある。
      • 乳房とへそを表現した成熟した女性がほとんどであり。また、腰が誇張して大きい。
      • 妊婦、出産および子供を抱いたりおぶったりしたものもある。
      • 衣服としては上着とズボンをはいている。
      • 覆面をつけたもの、誇張した顔面および素顔に近いものがある。
      • 帽子やずきんをつけたり、髪を結っているものがある。
      • 耳飾り、唇飾りや入れ墨をしたものがある。
      • 履き物をはいたものと素足のものとがある。
      • 勝坂式土器や土偶に描かれる顔は、女性でしかも幼子の表情をしている。
  • 土偶の用途
    • 大型土偶は集団祭祀用、中型土偶は竪穴式住居内の祭壇用そして小型土偶や板状土偶は個人的に身につけるお守りとして用いたのではないか。
    • 病気治癒の形代---病気の治療まじない。人の身代わりとして土偶の一部を壊した            (送り場(縄文時代のゴミ捨て場)に壊して捨てられているので)
    • 土偶精霊−−−子孫繁栄、安産
    • 地母神信仰−−−再生と豊穣
    • 儀礼、神像-------女神として豊穣を祈ったり、祀った。
    • 呪術
    • 精神世界
    • 子供の玩具
    • 装飾品として身につけたり<置物とした
  • 土偶の変遷
    • 初期
      • 数センチの板状
      • 顔面表現
    • 中期
      • サイズが拡大され種類も増加した
      • 顔の表現が明確になる
      • 妊婦や乳児に授乳する姿も現れる。
      • 出っ尻土偶
        −山梨県坂井遺跡から出土した、渦巻き文を飾りをつけた結髪と大きな尻が特徴の土偶。
      • 十字形土偶
        −青森県
    • 後期
      • 東日本で最盛期を迎える。
      • ハート形土偶
        −関東地方から福島県で製作。河原の石囲いのなかに仰向けで発見。
      • 山形土偶
        −関東地方
      • ミミズク土偶
        −顔面がミミズクに似ている土偶
        縄文時代後期 真福寺貝塚
      • 遮光器土偶
        −エスキモーが使用する遮光器に似ていることから名づけられた
    • 弥生時代になるとすたれ、幼児の遺骨をいれた土偶が出現した。
遮光器土偶 
    • 特徴
      • 宇宙服デザインの眼鏡、服装が超高度文明を彷彿させる。
      • 縄文時代晩期 
      • ビーナス像が発展したもので、土器と同様に女性が製作したと考えられる。
      • 荒覇吐神は荒吐族と称した長髄彦と安日彦の子孫が祀った神であるが、その姿は遮光器土偶そのものである。
    • 構造
      • 大型で内部は空洞で、厚さ3oと超薄い。
      • 体部には磨り消し縄文による雲形文が描かれている。
      • 固くて黒い。(炭化珪素を焼き付け、植物繊維を混入している)
      • 遮光器をはめている。髪を巻き上げてひもで結んだりヘアーピンをしている。入れ墨がある。目に朱を塗っている。
      • 亀ケ岡式土器の手法が用いられている。
      • 頭に香炉の蓋のような透かしのある宝冠状の突起がついている。
      • 胴が細い。袖や肘を足首・手首のところで縛った服を着ている。
      • 手先、足先が小さいか、省略されている。
      • 口が丸く縁がある。
      • 手先や足先が欠損して廃棄されている。
    • 出土場所
      • 青森県亀ヶ岡遺跡、泉沢貝塚
      • 宮城県田尻町恵比寿田遺跡出土(東京国立博物館)
  • 縄文のビーナス
    • 縄文時代中期 長野県棚畑遺跡から出土した。
    • 大形妊婦の土偶で国宝に指定されている。(茅野市尖石縄文考古館)
  • 立像土偶
    • 縄文時代中期 山梨県 西ノ前遺跡から出土した大型の土偶。(山形県立博物館)
  • 西日本での土偶製作
    • 縄文後期〜晩期にかけて製作された。
      磨り消し縄文土器に伴って、東日本から伝わった。成熟した女性の特徴が顕著に現れている。
      • 熊本市上南部遺跡(かみなべ)・三万田遺跡
        熊本県では40遺跡から約300点出土しており、阿蘇外輪山の麓である肥後台地で約半数が出土している。これらは縄文時代後期末〜晩期前半に短期間に作成された。
        • 焼きも堅く、表面も研磨されているが、無文が多い
        • 鼻、眉、目、を省略し口だけの顔や、のっぺらぼうもある。
      • 熊本県竹の後遺跡
      • 宮崎県陣内遺跡
      • 長崎県原山遺跡
      • 大分県天神面遺跡
      • 佐賀県宇木汲田遺跡、石木中高遺跡
      • 奈良県橿原遺跡---板状
      • 三重県天白遺跡
  • 勝坂式土器
    • 相模原で出土する中期勝坂式土器には、口縁部、把手および同体に顔面や人形装飾がみられるが、これは 土偶の役割を土器に取り入れたのではないかとおもう。煮炊きだけでなく、部族全員による祭りで部族を守護し部族の繁栄、子孫繁栄および安産を願い、神や祖霊に捧げたものと考えられる。

土製品

  • 動物を模倣した焼き物。
    • イノシシ
    • 貝を模倣した焼き物。
    • キノコを模倣した焼き物。
    • シャチを模倣した焼き物。
  • 三角形土製品

仮面

  • 土面
    • 穴があいており顔にひもでつけて、収穫祭で土面を付けることにより神や祖霊となって踊り祝った。
    • 種類
      • 遮光器土偶の顔面に似た土面。
      • 笑っている土面
      • 目を閉じている土面

  • 岩板
    • 装飾的な渦巻き模様のある楕円形の岩板。
    • 三角形岩板
  • 土板
    • 手形、足形をした焼き物。
    • 板状土偶
      • 顔や人体が描かれた土板
      • 北海道、東北地方では、十字型土偶と呼ばれる足がなく頭、手、胴体で形作られている土偶があります。
      • 三重県粥見井尻遺跡からは、縄文時代草創期時期である日本最古の板状土偶が発掘されています。
      • 上部に紐をつるす穴が開けてあります。

祭器/宝器/服飾品/武器

  • 木製祭器−−−集落単位の祭祀にもちいられた
    • 銅剣形木製品−−−BC1世紀後半 徳島県庄遺跡
    • 銅戈形木製品−−−BC1世紀    兵庫県玉津田中遺跡
  • 石製祭器
    • 石戈(せつか)−−−BC1世紀    奈良県鴨都波遺跡、福井県小和田遺跡
    • 青竜刀形石器−−−5000前 縄文中期 岩手県カマス屋敷遺跡
    • 石剣−−−3000年前 縄文晩期 群馬県板倉遺跡
    • 石刀−−−3000年前 縄文晩期 青森県宇鉄遺跡
  • 骨祭器
    • 青竜形骨器−−−5000年前 縄文晩期 青森県二つ森貝塚
  • 勾玉
    • ガラスの勾玉−−−BC1世紀後半 福岡県須玖岡本遺跡
  • 青銅器−−−より大きな集落単位の祭祀にもちいられた。
    • 銅鐸−−−水、農耕、神山の祖霊祭祀の依代祭器。加茂・三輪族の祭器。八千矛の神(大国主の命)の神宝。
    • 銅剣−−−武器として使用しなくなった後、細型は墳墓や石棺・甕棺の副葬品であったが、広型になるにつれ祖霊奉献品としての祭器。剣は祖先の神が降臨してきたときに献じるもの。〃。海人族(安曇・物部)の祭器。剣の形は蛇を象ったものであり、剣には蛇の神霊が篭められていると考えたので神として祀つたたり、神前に捧げた。また、蛇の神霊は人の祖神霊の化身という信仰もあったので尊重された。
    • 銅矛−−−〃。〃。〃。
    • 銅戈−−−〃。
    • 巴型銅器
      • 南島産の水字貝を型どった巴型銅器。楯にも着けたようでお守り。
    • 星形銅器
    • 銅釧
    • 指輪
    • 銅鋤先
    • 銅鏡
    • 仏像・仏具---奈良平安時代
    • 梵鐘(ぼんしょう)--------奈良平安時代
    • 朝鮮半島
      • 双頭鈴−−−BC2 韓国
      • 竿頭鈴
      • 巴形銅器−−BC4 韓国
      • 筒形銅器−−BC4 韓国
  • 鉄器
    • 鉄剣
    • 鉄刀
    • 鉄戈
    • 鉄矛
    • 鉄鏃
  • 武器
時代区分 丸太棒 剣(諸刃) なぎなた 大弓・矢 小刀 太刀 鉄砲 武 具
甲冑
旧石器時代 ○石鏃、イヌガヤ、桑
縄文時代 ○石鏃
弥生時代 ○銅鏃、竹に籐を巻き漆で固めた 巫女も戦闘参加
古墳時
○鉄族 ・冑(まびさし付冑/しょうかく付冑)・甲(皮綴式甲/鋲留め式甲) (手楯)・(置楯)
飛鳥時代 角笛、太鼓、笛、幡旗
平安時代
鎌倉時代 ○重籐の弓
南北朝時代 ○菊池千本槍
室町時代
  • 日本の弓
    • は遠距離用の大弓で、太平洋諸島、アマゾン原住民、インディアンの民族が使用しており毒矢は使用しませんでした。一方、短弓は中国・朝鮮等の騎馬民族系統を初めアフリカブッシュマン等 世界の多数民族が毒を塗り使用していました。
    • 歩楯(手楯)といい、九州装飾古墳(熊本県小田良古墳/大鼠蔵古墳/長岩横穴、福岡県王塚古墳/日ノ岡古墳)の壁画に描かれています。
  • (ゆき)
    • 弓矢入れ物はゆきといいます。
      • 姫ゆき
      • 蒲のゆき
      • 皮ゆき
    • 湖ろく
      • とは弓矢を立てる道具で騎馬民族が使用していました。
  • 銘文入り鉄刀
    • 本来武器であったが、銘文を入れることでその時代の記念物としました。銘文には、その人の家系・名乗りと功績を記述しています。
      • 埼玉県稲荷山古墳の金象嵌鉄剣
      • 熊本県江田船山古墳出土の銀象嵌銘文入り鉄刀
      • 奈良県東大寺山古墳の銘文入り鉄刀

(参考文献)

  • 鏡の研究者
    • 三宅 米吉、八木 奘三郎、高橋 健自、富岡 謙蔵、梅原 末治、後藤 守一
  • 原田 大六
    • 「実在した神話 」(学生社)、「磐井の叛乱」
    • 大正6年1月 福岡県糸島生まれ。S21年 九大名誉教授中山平次郎博士に師事し日本考古学と古代史を研究。
  • 樋口隆康・大塚初重・乙益重降
    • 「古墳時代の鏡・埴輪・武器」(学生社) 1994年10月
  • 青木 豊
    • 「和鏡の文化史」 刀水書房 1992年