ヒエログリフ(Hieroglyphs)
 エジプトでピラミツド内部の聖刻文字(ヒエログリフ)としてBC3000年〜AD4世紀の間用いられました。
  ☆聖刻文字
  ☆エジプト文字
  • ファラオの神聖なる神の言葉(メドウ=ネテル)です。文字には呪力が宿ると考えられました。
  • BC3000年頃、原エラム象形文字から、エジブト象形文字が生まれ、AD394年まで使用された。さらに古シナイ文字→フェニキア文字→ギリシア文字が生まれていきました。神殿の壁画、墓の壁画および石碑に浮き彫りで楷書体で刻まれました。また、事務として神官文字(ヒエラティック)パピルスやオストリカ(石灰岩片、土器片)にペンとインクを用いて草書体で書かれました。さらに、時代が下ってBC7世紀 王朝時代末期には簡略化した民衆文字(デモティック)が普及しました。
  • ヒエログリフの呼称はギリシア語のヒエログルフィカから来ています
種別]
  • 古エジプト語
    • 古王国時代末期以前に使用
  • 中エジプト語
    • 古王国時代末期から使用された古典的言語で宗教関係のテキストではローマ支配時代まで使用されました。
    • 決定詞−−−同綴り意義語の意味を区別するために、単語の最後に決定詞を付加した。
  • 新エジプト語
    • 新王国時代から使用され、民衆文字へと発展した。
  • コプト語
    • ギリシア文字アルファベットを用いて表した古代エジプト語後期の言語。
  • ヒエログリフは表音文字で、ヒエログリフは母音を表さず、全て子音で表現。
  • 読む方向
    • 横書きの場合、文中に表現された人物や動物の頭が向いている方向が文頭。
    • 同じ位置にある文字の場合は、横書きでは上の文字を先に読み、下の文字を次に読む。縦書きでは文頭にある文字を先に読みます。
[解読者]
  • ジャン=フランソワ・シヤンポリオン−−−1790年 フランスで生誕
    • 1799年 ボナパルト将軍によるエジプト遠征でフランス人士官がデルタ地帯のロゼッタ近郊にて、ヒエログリフ、デモティック(民衆文字)およびギリシア文字の3種類の文字が刻まれた石碑(ロゼッタストーン)を発掘した。この石碑の内容はプトレマイオス5世がBC196年に公布した文書で、これを基にしてファラオ(PTOLMYS、KLIOPATRA)の名前を手がかりに1822年解読しました。
〔目の意味〕
  • 目、見る、盲の、泣く、目覚める、見える、眠る、眠り、注目する、涙を流す
  • 隼の顔を加えた目は、“ウジャト”と言い「ホルス神の完全なる目」を意味します。

世界の文字
 現在、日本を含め世界には色々な文字があります。さらに、文字以前には文様や記号・図形もあります。又、古代の文字類になる程、内容が宇宙生成・人類誕生を表現しており、神秘的です。古代の人々は、夜空に輝くの星や一晩中頭上を飛び交う流星や火山、地震、台風、雪・雨・霜等の過酷な大自然に遭遇しながら、どのような思いを抱き後世に何を残そうとしたのでしょうか。
ペトログリフ

 ペトログリフ(petros glyphe)は直訳すれば岩石面彫刻とかで、線刻文様でしょう。感動的表現の写生した絵よりも、一歩文字に近く、意味や願いを込めていると思います。絵と文字の過度期の表現手段だと思います。世界広域で発見されているようです。日本では彦島杉田線刻画が有名なようです。また、大山阿夫利神社岩は近くで登ったことはありますが、両方とも残念ながら実物を見たことは有りません。現在のように漢字、アルファベットおよび仮名等の文字が確立していない時代に昔の人々が何かを訴えるために表現として絵や記号等の文様を刻み祈った跡だと思います。

 さらに時代が進むと文字としてエジプトのヒエログリフやメソポタミヤの楔形文字が作り出されてきました。古代、メソポタミヤ地方のシュメール人はシュメール語を粘土板に楔形文字で記しました。中国で紙が発明されるまで紙がなかった時代には、木、葉、石、亀の甲羅、鹿/象等の動物の骨および粘土に刻み込むしか方法がなかった。個人的にはヒエログリフの簡素化され抽象的な美しさと神聖さを併せ持つ文字が好きです。

昔の人々の生活の証として記したペトログリフの文様は古墳の壁画等と同様に貴重な文化遺産の一つとして大切に扱い保存し後世に残していく必要が有ると思います。また、書かれている文様の意味を遙か昔に思いを馳せて考えるのも面白いでしょう。

■押戸石山 
 阿蘇郡 西湯浦牧野から徒歩30分に山頂があります。山頂には、鬼のお手玉と呼ぶ巨石群が配置され、石には古代文字が刻まれています。


■彦島杉田線刻画 注@
杉田線刻画は本州西端、下関市彦島江浦町の丘陵頂上付近にあります。サンデン交通江の浦方面行きバス停横に小さな案内板が貼り付けてあり、このバス停とアパートの間の坂道を車で200m程登ると車輌進入禁止の標識があり、隠れて見難いですがその裏側に二つ目の案内板があります。車は坂道に止め、ここから細い坂道を徒歩で登ると、民家横を左方向 約1分の所にあります。数十年前には関門海峡を見ることができましたが、現在は建物が立て込み見えません。
  問題の線刻画は丘陵頂上より南西に10数m下った畑の中にあります。周囲にはフェンスが張られております。周囲には線刻画に接して、半分ぐらいの大きさの石、同じ大きさで高さが倍あるもの、やや小さいもの各1個。埋もれていて個数不明の人頭大の石等が置いてあります。昔は離れた場所にあったものを耕作の邪魔になるため一箇所に集めた様です。線刻画を移動させたのか他の石を移動させたのか不明で、数十年前とは位置が違うような気がします。さて、肝心な線刻画の表面ですが、今では昔の白ペイントも剥げ、風化も進み線刻も浅くなっており、はっきり言って現在では何が描かれているかまったく識別不能です。

線刻画は横140cm、縦100cm、高さ80cmの石英閃緑岩に鼓打技法で線刻されています。3〜4人の人物らしきものや、○の中に・の入ったもの、○の中に+の入ったもの、カタカナの「チ」に見えるものなどがありますが、この種のものの例にもれず見る人の主観により様々に見えます。昔から古墳時代の石室の一部であると言われ、下関市史「原始〜中世編」の中では、墳形不明の古墳に分類されておりますが、周囲に他の大型石材や遺物は全く見られず、この線刻礫がポツンとあるだけです。また彦島は周囲10平方キロありますが、古代の遺跡は2キロ西に縄文晩期の小規模な遺跡が一箇所あるだけで、古墳時代や弥生時代の遺跡は遺
物散布地を含めて皆無で、古墳の壁画とよぶには無理があるようです。この線刻画は「大正時
代に考古学雑誌に報告されている」との事であります。表面の線刻画が数十年で劣化するとなると今後、ますます保存が望まれます。(注@ 山口県としぽちさんから情報提供)

シュメール象形文字
  • 世界の文字の原型。シュメール楔形文字と原エラム象形文字にわかれます。
シュメール楔形文字
  • BC3000年以前、シュメール象形文字を基に生まれ、粘土板に横書きで刻まれています。
ロンゴロンゴ文字
  • イースター島の文字。
  • インダス文字や北海道異体文字(アイヌ文字)に似ています。
中国の甲骨文字
  • 1899年に発見されました。亀の甲羅に漢字の基になる文字を刻みました。
日本の現代文字
■種類
   □ひらがな
   □カタカナ
   □漢字
 ■文字の歴史
  • 徐福がBC244年 日本に漢字を伝えました
  • AD6世紀に百済から五経博士と共に伝わりました
  • 応神天皇時代AD285年に百済から王仁が論語千文字をもたらしました
  • 百済 阿直岐と王仁は、日本へ渡り 漢文、論語、千字文を教えた。武寧王の時にタニヤンイとコアンム等が漢学と儒教を教え政治思想や忠孝思想も普及させた。さらに聖王の時には天文・地理・暦法も伝えました
  • 高句麗 僧侶 えじは 聖徳太子の師となりましたた。曇微(どんちょう)は紙、墨および硯を造る技術を伝えました。法隆寺の金堂壁画を描きましたた。なお、高松古墳の壁画は高句麗の影響をうけています。
日本の古代文字
□トヨクニ文字(豊国文字)
□アヒル文字:阿比留文字
□上記:ウエツフミ
□イズモ文字:出雲文字
□イヨ文字:伊予文字
□節墨文字:フシハカセモジ
□神山文字:カミヤマモジ
□秀真文字:ホツマモジ
□アヒルクサ文字 ・神社のお守りに見受けられます
□アワ文字:阿波文字
□アナイチ文字
□タネコ文字:種子文字
□守恒文字:モリツネモジ
□北海道異体文字:アイヌ文字
□山窩文字:サンカ文字
□桃木文字:ヨモツモジ
[参考文献]
  ・吉成  薫 「ヒエログリフ入門」 六興出版 1990.2

LN711