古代のタイムカプセル古墳その魅力。永遠の命を感じます。権力の象徴 土と石の芸術   

中通古墳群の概要
 阿蘇市一の宮町中通にある4〜7世紀に作られた中通古墳群(なかどおりこふんぐんとよむ)です。大小さまざまな群集 前方後円墳・円墳が過去には、14基(現在は12基)水田の中に分散しています。

   前方後円墳 2基、円墳 10基から構成され、東岳川(ひがしだけがわ)をはさんで東部群と西部群に分けられます。昭和24年、河川工事でその中の1つ長目塚から銅剣、銅鏡等が出土しました。地元では古墳を壊した人は病気になると恐れられています。
これらの古墳群は実家近くの田んぼの中にあります。
子供の頃は雑木がない円墳で草スキーをして遊びました。

   古墳はどこにでもあるものと思いこんでいましたが、外輪山を出て、初めてそれは少数で貴重な遺跡だと分かりました。冬は雪で真っ白に、春先は野焼きで真っ黒にそして五月は若草色に夏の盛りは緑濃く秋は枯れ草色と四季折々に変化します。  
                            右は車塚古墳
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映画「まぼろしの邪馬台国」(2008年11月ロードショウ)に、中道古墳群の長目塚と車塚が出ていました。
 「まぼろしの邪馬台国」は長崎生まれ宮崎康平氏 「まぼろしの邪馬台国」を基にしたドラマです。堤幸彦監督、竹中直人/吉永小百合出演。 (2009.1.6)            
阿蘇谷に人々が本格的に住み開発しはじめたのは、弥生時代後期です。その後、阿蘇君一族は、これらの中通と手野界隈に古墳群を造築しました。

また同地区に阿蘇神社と国造神社もあります。阿蘇古墳群は阿蘇五岳・阿蘇神社と黒川に挟まれた北外輪山寄りに点在しています。

   これらの古墳群が造営された5〜6世紀は、阿蘇の君が豪族として大和の王権と密接な関係を結んでいたと言います。
例えば、宣化紀によると第28代 宣化天皇(467年〜539年)は自ら信頼関係のある阿蘇の君に河内の茨田屯倉(まむだのみやけ)の穀を邦ノ津に運ばぶように命じている記録が残っています。
*中道古墳群は、上の航空写真 北(左上の北山麓小嵐山)東岳川の東西(左右)に分布.
  • 阿蘇地方ではの地名は、○○原と書いて“○○バル”といいます(例えば下原はシモバルです)。尚、宮崎県でも西都原古墳(サイトバル)と言います。通常は“○○ハラ”ですが、中学生時代から不思議だなぁーと思っていました。最近、バルとは韓国語では《光、光明、広々とした国土》だそうです。(魏志東夷伝に北東アジアの地名に頻出する)熊本県一帯の装飾古墳(例えば トンカラリン)のあるところには、○○原がつき、トンカラリンで言うと 清原 と書いて セバル と発音するようです。また、韓国の古代人は天から地下に下り なくなると元に戻るという意味から、王がなくなると土地にバルをつけました。この地名の付け方の影響を韓半島に近い九州は受け、熊本地方に残ったのではないでしょうか。
  • 阿蘇では黄色のことをキナと発音します。例えば黄色い線のことをキナセンと言います。なぜだろう?。但し、黄粉はキナコと言います。こちらは全国的な発音です。
<交通のご案内>
阿蘇カルデラの古墳を巡った後は温泉につかり、馬刺を肴に球磨焼酎をキュット一杯!
馬刺しがあるのは阿蘇以外では群馬県で食すると聞きます。阿蘇カルデラの国立公園を観光するには、スポット的な名所旧跡を点として訪ねるという方法よりも、面として全体を眺める方法が良いと思います。点としては、山、草木、空、風そして幾つかの名所旧跡しかなく他の観光地のような期待するものはありません。空間として肌で感じることしか意味がないように思います。空即是。是即空の境地か。
  • 中通古墳群は田んぼの中に点在していますので、自転車があれば最高ですが、時間があれば徒歩が自然に親しめます。また、北外輪山麓 鹿漬川に面した小嵐山や背後の北山に上れば古墳群を一望できますので登られることをお勧めします。ただ風が強いのでそのつもりで山に登ってください。特に、鹿漬川(黒川)北側の小嵐山に登り、古墳全景を見定めてから古墳を巡った方が、方向感覚や距離や巡るルートが決めやすいでしょう。
  • 中通古墳群を巡った後は是非、鹿漬川を東側へ1kmほど行くとヤマナミハイウエーの登り口に出ますから、そこから外輪山を登りミルクロードを西に向かうと大観望に出ますので、ここからの阿蘇カルデラ全景と阿蘇山の涅槃像姿を堪能してください。ここからの景色が良くて阿蘇国立公園が決定したと聞くほどです。キット心が洗われるでしょう。風が強いのと崖があるので注意してください。
  • 大観望からさらに西へ行くと菊池渓谷に至ります。菊池渓谷は山の上とは思えないほどで、特に夏は涼しい渓谷が迎えてくれます。奥入瀬に似ています。さらに行くと菊池神社とか山鹿にでて装飾古墳とかに巡り会うでしょう。
  • あなたの良い古墳巡り旅を祈っています。阿蘇近郊は温泉も多いですから見学のあとは温泉につかり、ぜひ馬刺を肴に球磨焼酎をキュッと一杯!
飛行機利用の場合
熊本空港からバスで熊本市内に出てJR豊肥線で宮地駅下車するか、空港からタクシーで57号で線宮地駅経由して阿蘇神社で参拝し、食料等を仕入れたら中通りに向け出発。中通古墳群の一つ長目塚は阿蘇神社の阿蘇家の古代の墓とも云われていますので、是非 阿蘇神社で参拝してから巡ってください。
車を利用の場合
(1)熊本市内から行く場合は、57号線で立野を経由して、宮地駅前で左折し、阿蘇神社に参拝してから出発してください。
(2)大分県別府市(別府温泉等)方面からヤマナミハイウェイで行く場合は、別府温泉→湯布院温泉→長者原牧ノ戸温泉(近くに黒川温泉あり)→瀬の本高原→外輪山を下ると麓に国造神社に参拝→さらに進み宮地の阿蘇神社参拝し、食事か休息および買い出する。→中通古墳巡りに出発してください。
  
JR豊肥線利用の場合
熊本駅から豊後竹田駅方面行き宮地駅(阿蘇駅の次の駅)下車
阿蘇の中通古墳群は豊肥線宮地駅から北外輪山(小嵐山)に向かつてタクシーで約20分程度です。(徒歩では約1時間と遠い、自転車では約30分)。又、現地の近くにはコンビニとか少ないので、JR豊肥線宮地駅前や阿蘇神社近くのお店で弁当・飲物をは買っていった方がよいでしょう。カルデラ内は標高500mあるため、冬は寒く雪が降るときもありますから防寒具が必要です。春は暖かいですョ。盆地の内陸性気候であるので夏は暑く時々、雷もピカピカ鳴ります。秋は朝晩は冷えますから、ジャンパーとか持参した方がよいでしょう。














中通古墳群の全体構成
   東岳川を中央に東側と西側に分かれる中通古墳群 中央部(東岳川を挟む) ↓
中通古墳群 東側(東岳川の東側) ↓
中通古墳群 西側(東岳川の西側) ↓
1.東側古墳群風景(東岳川の東側)
東岳川(ひがしだけがわ)の東側北より勝負塚、車塚B、車塚A、入道塚、薬師の藪、銭亀塚等の円墳があります。
中通古墳群 東側古墳群風景 説  明
入道塚
田圃のただ中にある円墳です。古墳を削ると発熱し倒れるよと田圃の持ち主が話していました。
(2007.2.26)
・直径25.0m 

・以前は、竹や雑木が生えていました。又、入道塚の南東にある平坦で、小さな墳丘。殿様の墓地(左側)だと子供の頃に聞きました。
以前は、竹や雑木が生えていました。
車塚1号墳、2号墳
子供の頃、春は草スキー、冬は雪滑りで遊んだなだらかな円墳らしい円墳です。
・直径47.0m 、高さ8m。
・北側水田中から小型の竪穴式石室が発見されました。(S40年代)
車塚1号墳
・直径16.0m 
・左側の円墳です。春の緑色とは違った趣があります。右側の小さめの円墳は車塚Bです。(2007.8.14)
・左側の円墳です。春の緑色とは違った趣があります。右側の小さめの円墳は車塚Bです。(2007.8.14)
勝負塚(手前中央)
(東岳川の東側(向かって左))
・小嵐山から猫岳方面を望む東側古墳群風景です。後方は大観望です。
・墳丘の規模の割りに墳頂が尖い。
・大型の円墳。蘇谷志科(国誌)では菖蒲塚に石棺があったと記されています。
・最大径58.7m 高さ2.4m。南側は昔から墓地として使用されています。
銭亀塚
・道端の低くて小さい見逃しそうな塚てす。
・直径13.0m 
薬師の藪
・現在地は不明です。
2.中通古墳群 西側古墳群風景岳川の西側)
 東岳川(ひがしだけがわ)の西側北より上鞍掛塚A、鞍掛塚B、鞍掛塚A、長目塚等の古 墳があります。尚、小嵐山と長目塚と中岳は、南北に一直線に並んでいます。これらは阿 蘇の君一族の墳墓でした。
東岳川の西側
西側古墳郡
・北西に大観望がみえます。
 ・右手には前方後円墳(長目塚)が見えます。
(2006.12)
長目塚から西方を望む(2006.12)
長目塚

・小嵐山と長目塚と中岳は、南北に一直線に並んでいます。(2006.12)
*東岳川の西側古墳全景です。左ら鞍掛塚A、上鞍掛塚A、鞍掛塚B、上鞍掛塚B(平成13年5月撮影 曇)
西側古墳群風景
西側古墳群風景 説  明
西側古墳群全景
上鞍掛A(手前側)
 ・前方後円墳 
 ・中期後半頃。
 ・最盛期の様式で、後円部の墳頂部が広い。
 ・前方部が発達していた全長71m、高さ6.5mのしゃもじに似た小形の前方後円墳。
(2006.12)
上鞍掛B
・直径25.5m 
・右側の小円墳(平成13年春撮影)
鞍掛塚A(最左端)
(2006.12)
鞍掛塚A
・中通古墳群の最盛期様式
・直径33.0m 
(2006.12)
鞍掛塚B
・直径21.5m 
・左の小円墳(平成13年春撮影)
長目塚
・阿蘇市一の宮町中通古墳群の一つです。九州最大の「柄鏡式前方後円墳」で、全長111.5m、円墳直径59.5m、高さ9.2m。前方部の幅30mです。古代には周溝がめぐり外堤があったと伝えられています。墳丘には葺石があり3〜4段の埴輪列が置かれていました。
・5世紀前半期に築造されました。
・阿蘇家の古代先祖の墓です
・昭和24年、中通村の甲斐重喜村長時代に熊本県史蹟名勝天然記念物並国宝重要美術品調査委員 坂本経堯は調査団を編成し12月18日から11日間調査しました。前方部の最高位部に竪穴式石室があり、下記の副葬品が出土しました。
前方部の最高位部の竪穴式石室に成人女性35歳前後の人骨が埋葬され、が残っており、流出した丹により川が赤く染まったと言います。
・鏡(
内行六花文鏡)、管玉、丸玉、太刀、刀子、矢筒にはいった鉄鏃、鉄斧等です。
(2007.2.26)
・小嵐山と長目塚と中岳は、南北に一直線に並んでいます。 (2006.12)
・長目塚は、昔、河川工事でその前方部が削り取られました。(2006.12)
          
塩塚古墳群
中道古墳群の南端に位置し6世紀前半期の古墳です。
手野古墳群
阿蘇一の宮町 国造神社を中心に、阿蘇国造を祭る古墳が8基あります。6世紀中頃に造築されました。
複式、横穴式石室古墳。中学生の頃、民家の庭先から石室に入りましたが、たしか頭もぶつけずに歩けたので高さは150p程度はあったと思います。すべすべした黄土色の壁が長く続いていたとおもいます。壁画等は気づきませんでした。外の光がほんのりしいて、ひんやりしていたので野菜の貯蔵庫に使用されていた様な気もします。
御倉古墳群
御倉古墳群は速瓶玉命とその妃である
雨玉姫命の神懸かりりの岩屋と言われて、
神陵で と伝えられています。速瓶玉命は、
水の神様つまり鹿漬川等の治水に貢献した族長の墳墓と 思われます。つまり阿蘇の開拓や農業の発展に尽くされました。
上御倉古墳かみみくら
  • 一の宮町手野 宮ノ前 古くから開口し風穴として知られています。
  • 長楕円形で直径33m、高さ5.8mあります。安山岩と阿蘇溶岩で製作した複室式の横穴式石室(羨道、全室および後室が直線で続く)をもつ円墳で、。丹彩が残ります。1号墳は肥後型石室の発展したものです。
  • 複式横穴式石室墳
    • 前室は奥行き2.35m 幅2.5 m 前室前の板石に白色の山文様がで描かれ、その下に黄色の両手を開いた人物像が描かれています。
    • 後室は奥行き3.6 m 幅3.18m 
    • 高さは3.7m
    • 阿蘇溶岩製の横口 石屋形
    • 玄室は周壁の3方を一枚石で製作。
  • 6世紀中頃、県制から国造制に移行した時期のもので近くに国造神社があります。阿蘇の君。
  • 阿蘇国造一族であるは、宣化天皇時代に舎人として朝廷に仕えました
下御倉古墳(しもみくら)
  • 一の宮町手野 宮ノ前 上御倉古墳から東南40mにあります。
  • 6世紀中葉 須恵器より。
  • 直径30m高さ4.5mの上御倉古墳より小型の円墳です。
  • 複式横穴式石室
    • 前室は奥行き1.71m 幅1.61m 
    • 後室は奥行き2.9 m 幅2.4 m 
    • 玄室には横口 石屋形
大石平古墳群
  • 小嵐山の東側から片隅にかけて雑木林の中に3基以上の古墳があったようですが、S20年頃 開墾されたと言います。勾玉とか鉄剣が出土したらしいです。
迎平古墳群(むかいびら)
  • 北外輪山東奥の大字手野迎平にあります。7基の円墳があり七つ塚とも呼ばれました。御倉古墳群と迎平古墳群と阿蘇神社および中岳は南北に並びます。
  • 七号墳は北山の東側麓 片隅・手野の道路工事で破壊されました。
  • 六号墳は水田の中にあった5世紀後半の初期的横穴石室を持つ直径3mの小さな円墳です。ここからS48年〜50年頃、圃場整備工事で、“画文帯環状乳神獣鏡”が出土しました。この画文帯環状乳神獣鏡は、第21代 雄略天皇が南宋からもらった鏡で、船山古墳(玉名郡)、蛇塚古墳(香川県)、持田古墳20号(宮崎県)から全国で5面しか出土していない大変貴重な鏡です。弥生式土器も供出しました。また、このあたりの山懐畑には摩耗した土器片の露出がみられます。              
平井古墳群
  • 北外輪山東奥の丘地である古城の下方  大字手野字平井にあります。下に伊勢神宮の分神が祭られていますのでお伊勢山とも呼ばれます。
  • 直刀2振り、土師高坏、須恵の堤瓶2個、須恵の台付壺および馬具等が出土しました。
  • 肥後藩国学者 木原楯臣の記録「蘇渓温故」によると桃の実が3個出土したとも言います。
東手野古墳群

東手野古墳群
長形の箱式石棺をもつ古墳で、阿蘇谷最古の様式です。

昔のお城跡
贄塚/浜城/蔵原城跡 説明
■阿蘇谷の北西になだらかな岡があります。かって、古代阿蘇の君がイノシシを供えた祭祀の岡です。中世になると浜城が造築され、浜の館が建てられました。守護神として浜神社が建てられています。矢部町の浜の館は、後に阿蘇氏が矢部郷に移った折りに建てられたものと云われています。
■阿蘇谷の西方にある2つの山は昔の先祖 武士団 蔵原氏のお城跡で、先頃まで供え物をしていたと地元のおじいさんが教えてくれました。(写真は豊肥線沿いの国道から冬撮影)
・御塚横穴群
■阿蘇町
・石室はベンガラで塗られています。
・下山西遺跡
■阿蘇町乙姫 弥生後期
・石棺内部はべんガラが敷かれています。これらのベンガラは北方に埋蔵されている酸化第二鉄(阿蘇黄土)を焼いて作られたと思われます。これらの酸化第二鉄=褐鉄鉱は、阿蘇カルデラが湖だった時期に溶岩に含まれる鉄が湖水に溶けて水酸化鉄となり沈殿したようです。
・装飾古墳
 装飾古墳は菊池川流域、筑後川流域および有明海沿岸に多く見られます。装飾古墳は山鹿のチブサン古墳が有名です。私は残念ながらまだ見学していません。何時か帰省した折りに方向は異なりますが岩戸山古墳と共に行きたいと思っています
・チブサン古墳 熊本県鹿本郡鹿央町
  • 装飾古墳とは石室や石棺、横穴墓の壁面に絵画や文様を描いたものです。全国で装飾古墳484中185が熊本県にあります。また、阿蘇の外輪山を水源とした菊池川流域にはなんと122基もあります。チブサン古墳岩原古墳群、千金甲1号墳、江田舟山古墳
  • チブサン古墳の近くには「山鹿市博物館」もあります。
  • 肥後古代の森−−−菊水町、山鹿市、鹿央町地域で熊本県立装飾古墳館が設立されています。熊本県立「装飾古墳館」熊本県鹿本郡鹿央町 0968-36-2151
  • チブサン石人
・田代太田古墳 佐賀県鳥栖市田代本町太田
  • 民家の敷地内にあり、石室は密閉されています。
・西都原古墳群 宮崎市西都市
  • 広大な田園の中に300もの沢山の古墳が点在しています。よく整備されていて春は花が綺麗です。男狭穂塚(帆立貝形古墳154m)ニニギノミコトの墓、女狭穂塚(九州最大の前方後円墳176m)コノハナサクヤヒメの墓があります。
  • 西都原資料館もあります。
・岩原古墳群

・岩戸山古墳

江田船山古墳

・造山古墳 岡山県
  • 前方後円墳357m
  • 石棺は阿蘇の溶解岩から製作されています。
古墳
  • 副葬品
    • 弥生時代の九州の古墳には、鏡、玉および剣の三点セットが副葬されている。
  • 石室の種類
    • 竪穴式石室---初期の石室
    • 横穴式石室---後期の石室 朝鮮半島から伝わる。
    • 木棺---通常のの場合は木材で製作した。
    • 石棺---豪族、高貴な人

装飾古墳の壁画

  • 三角文
    • 弥生時代から土器、木製品および器台に着けられ、さらに埋葬用
    • 歩楯(手楯)といい、九州装飾古墳(熊本県小田良古墳/大鼠蔵古墳/長岩横穴、福岡県王塚古墳/日ノ岡古墳)の壁画に描かれています。
  • (ゆき)
    • 弓矢入れ物はゆきといいます。
      • 姫ゆき
      • 蒲のゆき
      • 皮ゆき
    • の絵は、古墳の石室を守るために、外敵に大してとうせんぼして防御し封印する印です。
      • 楯の絵は、外敵が来ないように、入ってはいけない、侵してはいけないという防御の印。
      • 靱部とは天皇を直接護衛する軍隊のことをいいますが、敏達天皇(538〜585年)紀に靱部とあります、また、豊後風土記 日田郡条に日下部君等の祖である邑阿自(おうあじ)は靱部として天皇に仕えたとあります。靱とは封印するという意味があります。
    • 同心円
      • 同心円はです。古語では いくは とも言い靱部と同様に宮廷を守る軍隊を意味−−−外敵防御を意味すると言われます。
      • 無用の者はいるべからず。
      • 魏志倭人伝に記載されている持衰(じさい)は、罪、穢れを全部一人で被る役目を持っています。
  • 湖ろく
    • 湖ろくとは弓矢を立てる道具で騎馬民族が使用していました。
  • 赤不浄
    • 古墳内部や土器には朱の赤色を塗っていますが、赤は神聖な色です。裏腹の理論により赤は、奈良時代の赤い着物、血そしてお産・生理とかは穢れた物に通じ避けるようになります。
墓の変遷
  • 形式 時期 主体場所 副葬品 銅鐸
    甕棺墓 弥生時代前期 九州 細形銅剣 細形銅矛 細形銅 ・前漢式鏡・多紐細文鏡 初期銅鐸
    箱式石棺墓 弥生時代 九州 広形銅矛 ・内行花文鏡・倣製鏡 近畿式/三遠式銅鐸
    石蓋土壙墓 弥生時代 九州
    木棺墓 弥生時代 九州
    竪穴式石室 古墳時代AD4 九州・畿内 ・三角縁神獣鏡
    ・三角縁仏獣鏡
    ・画像鏡
    ・紀年銘鏡
    横穴式石室 古墳時代AD5 畿内
埴輪
  • 古墳時代にいい粘土である埴土で人物、動物、家および各種器材を製作し、古墳に建て並べた土製品。日本書紀 垂仁天皇時代28年の条に弟 倭彦命が亡くなったとき殉死者が苦しんだのをみて、皇后 日葉酢媛命が亡くなったとき、野見宿禰が出雲から土師部100人を呼び寄せ焼き物を作り人命に替えるよう垂仁天皇に提案しました。
古墳時代
 古墳時代が定説より約100年早まり西暦80年の測定結果!
従来、日本における古墳時代の始まりとしては、古墳時代初頭 紀元150年頃からといわれていました。ところが、愛知県朝日遺跡出土の廻間式T式土器(前半)に付着したスス等5点を加速器質量分析器(AMS)により測定した結果、AMS測定値が従来の150〜200年頃から100年遡り西暦80年頃となった。これにより年代特定の基礎である土器型式の時期区分が修正され濃尾平野の古墳時代の開始も100年遡る。(2003.6.8 朝日 名大 山本直人教授)


前方後円墳のおいたち
  • 卑弥呼没後三世紀から七世紀にかけて約3000基が造営された。最大の仁徳天皇陵は秦の始皇帝陵よりも大きい。
  • 中国 道教の天円地方からくる形。
  • 霊力の引継を行う場所。(大嘗祭)。つまり、円(天)において神霊を引継ぎ、方(地)に降りて即位を宣言した。(天下りの儀式)
  • 石室を納めた円墳(天)の前に、天へ至り拝む方墳(橋)が付随しています。ピラミッドの場合は高くそびえる四角錐(天)に石室を納め人々は地面から拝みます。つまり、日本に於いては天を高くしない代わりに天と地をつなぐはし(橋)をもうけて高さを創出しています。この原型は出雲の四隅突出型方墳と思われる。例えば高いところに上るときははしご(梯子)を用いるのと同じです。古代の出雲大社の大国主の命が祭つられた天はなだらかな梯子で地と結ばれていた。国津神は天に昇り天津神となる。天と地の思想は古代出雲にあった。
  • 箸墓古墳は最古の古墳であり規模は11番目である。、このようなはしをもつ墓の古墳。天橋立・・・高い天へ至る橋。高天原・・・高い天であるが平原。
  • 近畿地方の前方後円墳からは古墳時代になってから、鏡、玉および剣の三点セットが副葬されるようになる。
  • 北枕で埋葬された。
  • 大化の改新の翌年に薄葬令により前方後円墳の造営が禁止された。

▲甕棺
  • 甕棺は南方系の習俗といわれています
  • ここ阿蘇地方の一部では、昭和中期まで、火葬でなく甕棺(但し二つにあわせる方式ではなく一つ瓶方式)による土葬でした。ひょつとすると阿蘇地方には南方系民族も渡来してきたのではないか。
▲石棺
  • 石棺は北方系の習俗といわれています。
  • 石棺の材料
    • 九州阿蘇の溶結凝灰岩
      • 火山噴出物が固結するとき 700度以上の高温を保ったまま固まった凝灰岩。阿蘇溶岩、阿蘇泥溶岩または灰石とも呼ばれる。黒灰色なため阿蘇灰石とも言う。柱状節理が発達しており浸食されると岩石が柱状になる。ピンク色あり。
      • 阿蘇の噴出物は160ku。
      • 堆積地域
        • 熊本県
          • 蘇陽狭
          • 菊池川流域の菊池渓谷
          • 山鹿市
          • 玉名市では横穴墳の壁面にも使用されている。
        • 大分県
          • 臼杵の石仏は平安時代に岸壁に彫刻した。
        • 福岡県西南部
          • 八女市では石人、石馬が数多く製作された。
        • 宮崎県
          • 高千穂峡
        • 鹿児島県、
  • 九州阿蘇の溶結凝灰岩使用例
    九州のみならず、瀬戸内海沿岸の播磨、四国から近畿地方までの西日本地域まで輸送され用いられた。加工の容易さと粘性があるのでこわれにくい特徴が石棺をはじめ彫刻や石像物等に用いられたのではないか。
    • 有明海岸地域、宇土市
    • 愛媛県蓮華寺、香川県丸山
    • 岡山県赤磐郡山陽町---小山古墳の石棺
    • 岡山県市新庄---------造山古墳の長持形石棺は阿蘇溶解岩でできている。
    • 播磨
    • 大阪府藤井寺市-------長持山古墳
    • 京都府八幡市 八幡茶臼山古墳の舟形石棺
    • 推古天皇陵のピンク色の石棺
    • 長持山古墳の石棺
    • 唐櫃山古墳の石棺
  • 石棺の形
    • 舟形石棺
      • 九州97基
        • 熊本58基、福岡10基、佐賀4基、大分9基、宮崎9基、鹿児島1基
    • 家形石棺
    • 長持形石棺
    • 割竹形石棺
  • 用途
    • 鳥居、石塔、眼鏡橋、石垣、石段、石風呂、土台
▲日本の縄文時代の墓種類
  • 土器棺墓
    • 遺体を土器棺に再葬したもの
  • 配石墓
    • 墓穴の上に石を並べたもの
  • 木組墓
    • 墓穴の壁に木枠を立て並べたもの
  • 石組墓
    • 石を立て並べたもの
▲日本の縄文時代の埋葬法
  • 甕被葬
    • 頭部に土器を被せたもの
  • 抱石葬
    • 石を抱いたように埋葬したもの
[参考文献]
  ・国文直一/井上辰夫/野田拓治他 えとのす 22号 新日本教育図書株式会社 1983.10
   ・斉藤 忠 郷土の好古家・考古学者達−西日本編− 雄山閣出版株式会社 2000.2

  ・近藤義郎/藤沢長治編 古墳時代−上 河出書房