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世界の七不思議
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・紀元前2世紀頃、ビザンティウムのフィロンが『世界の七つの景観』 で取り上げた有名な建造物を指します。

*2007年になり、テレビ等で“新・世界の七不思議”が紹介されています。従来はヨーロッパを中心にしたものでしたが、南北アメリカとアジア地域が追加され全世界的になっています。これは投票で決めたものだそうです
注@このページの内容は、HP管理人の主観で作製していますので、史実と異なる場合があります。 |
ギザのピラミッド |
■カフラー王第2ピラミド東側、日の出方向の東を向いた大スフィンクス像
ピラミッドには、スフィンクスが良くあっている。 |
バビロンの空中庭園
- BC605〜BC562古代メソポタミアの都バビロン王ネブカドネザル2世は、アミティス王妃(メディア(北イラン))のために125m四方のザクロ、スモモ、セイヨウカリンを植えたテラス構造の庭園で、ユーフラティス川から水を汲み上げました。
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オリンピアのゼウス像
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エフェソスのアルテミス神殿 |
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ハリカルナッソスのマウソロス王の墓廟 |
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ロードスの巨像
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アレクサンドリアの灯台
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エジプト文明 |
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- BC10500年
- 超古代文明によるスフインクス建設説
- BC 8500年
- 超古代文明によるピラミッド建設説
- BC 6000年
- 通説でいう農耕・牧畜の始まり。
- BC 4000年
- エジプト文明
- 年代 :BC3000
- 場所 :エジプト・アラブ共和国
- 川 :ナイル川
- 古代エジプト文明は海洋文明から生まれた。難破物語には巨大蛇神国が火山の爆発で沈没したとパピルスに記録されている。
- 特徴 :太陽暦、神聖文字、太陽神中心の多神教、ピラミッド、スフインクス
- エジプト王
- 先王朝時代 :BC4500
- 新石器文化がおこる。農耕、牧畜はじまる。
- 初期王朝時代 :BC3000
- メネス王はエジプト全土統一
- BC2781:太陽暦創始、神聖文字(ヒエログリフ)
- 古王朝時代 :BC2650
- ジェセル王のイムヘテブ階段ピラミッドを考案
- BC2550 クフ、カフラー、メンカウラー王はギザに三大ピラミッドを造営
- BC2490 太陽神ラーが国家の最高神となり、太陽信仰が盛んとなる。太陽神殿を建設。
- BC2400 ウナス王のピラミッド内部に最古のピラミッドテキストが刻まれる。
- 第3王朝:BC2650
- 第4王朝:BC2600
- 第5王朝:BC2480
- 第6王朝:BC2350
- 第1中間期 :BC2200
- 中王朝時代 :BC2000
- 第2中間期 :BC1800
- 新王朝時代 :BC1565
- アハミス王はヒクソスをエジプトから放遂し国内を再統一しテーベに第18王朝ほ開く。
- 末期王朝時代 :BC935
- プトレマイオス朝:BC305
- アレキサンダー大王のプトレマイオス1世 エジプト王として即位。
- BC30 クレオパトラ7世の死によってプトレマイオス朝は滅亡。以降、ローマ帝国の属国となる。
- 文字
- エジプトのナイル川西岸にある王家の谷に近い砂漠の谷から米エール大学者がBC1900年代最古のアルファベットが刻まれた岩を発見した。ローマ字やギリシャ文字の原型とみられる。1999.12
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メンフィス |
■メンフィス遺跡
■ラムセス2世巨像
とにか部屋一杯の巨像 2階から見てもカメラに収まりきれませんでした。 |
ダハシュール |
■屈折ピラミッド
砂漠の中にぽつりとそびえたっています。 |
■赤のピラミッド
これも砂漠の中にぽつりとそびえたっています。その名の通り色が赤い。 |
■遠くに崩れた残骸 |
■また来る日までさようなら |
サッカラ |
■河岸近くのヤシとトウモロコシ畑がどこまでも続く。 |
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■階段ピラミッド
砂漠の中にぽつりとそびえたっています。 |
■長い間の灼熱の環境下で崩れかけています。 |
アブシンベル29 |
■ヌビア遺跡
(アスワンから南に1000kmに及ぶ広大な地域)
■アブシンベル大神殿
豊かな芸術性を感じます。 |
■生き生きとした象形文字と絵巻 |
■アブシンベル小神殿
丸みを帯びた立像。 |
アスワン29 |
■アスワンの切りかけのオベリスク
完成していれば、エジプト最大の大きさになったであろう。切ってから又運び、さらに立てるのに苦労するだろうに。 |
■イシス神殿神殿 人造湖をボートにて神殿のある島まで行く。 |
■立派な門と壁画そして柱にも模様が描かれています。 |
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コムオンブ・エドフ・ルクソール(カルナック神殿/ルクソール神殿)30 |
■コム・オンブ神殿 |
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■エドフ・ホルス神殿 |
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■カルナック神殿 |
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ルクソール西岸(ハボー神殿/王家の谷/メムノンの巨像/ハトシェプスト女王葬祭殿)1 |
■外では女性と子供は見かけませんが、夜明けた早朝、畑でかろうじて見かけます。 |
■王家の谷 |
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■ハトシェプスト神殿 |
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■捕虜の手を切り戦利品として王様に見せたという壁画。 |
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■メムノンの巨像
右下の人と比較してください。 |
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■ルクソール神殿 |
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アレキサドリア・カタコンベ・ポンペイの柱 2 |
■ナイルエクスプレス寝台特急
ルクソルから一路 カイロへ |
■カイロのポンペイの柱 |
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■アレキサンドリヤ国立博物館 |
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■カイロ博物館 |
古代文字 |
エジプトのピラミッド |
☆ピラミッド永遠の謎
- 世界でピラミッドと言われる巨大建造物は最も有名なエジプトを初め日本、メキシコ・中央アメリカのテオティワカン(太陽のピラミッド)/アステカ(テノチティトラン大神殿)/エル・タヒン・モンテ・アルパン/パレンケ・ウシュマル/マヤのチチェンイッツア/サイル/シュプヒル・ベリゼ・ホンデュラス(コパン)にもあります。
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エジプトのピラミッド
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■ギザ三大ピラミド
左から
@クフ王の大ピラミド
Aカフラー王のピラミド
Bメンカウラー王のピラミド |
- 最古のエジプトの墓は小石を積んだ古墳でしたが、その後、国王達は日干し泥レンガで製作した長方形のマスタバという墓室の上に砂の山を築きさらにレンガで覆った墓に葬られました。
- エジプトには80以上のピラミッドがあります。また、南のスーダンには100以上もあります。特にギザ地区にそびえ立つクフ、カフラーおよびメンカウラーのギザ3大ピラミッドは、土木機械がない古王国第4王朝時代である紀元前2520年(最近では紀元前10450年)もの昔し建設された。どのようにして大きくて重たい石をあんなに高くまで積上たり、切断したりしたのか驚嘆します。
- 目的
- 砂漠とナイル河の氾濫地に住むエジプト人は、“世界は始原の水より浮かび出た丘から出来ており、その丘の形は全生命の源であり、その形つまり四角錐のピラミッドには国王が再生するのを助ける力がある”と考えていました。
- ファラオのシンボル。しかし、後世のエジ プトのピラミッド内からは遺体は発見されていません。
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ピラミッド名称 |
底辺m |
高さm/段数 |
角 度 |
重量
(万t) |
石の数(万個) |
容積(万m3) |
クフ王の第1ピラミット
(大ヒ゜ラミット)
(日が昇り没する場所) |
231 |
147
210段 |
51° |
650 |
230 |
259 |
カフラー王の第2ピラミット(偉大なピラミッド) |
215 |
143 |
53° |
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メンカウラー王の第3ピラミット
(神聖ピラミッド) |
105 |
66 |
51° |
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■クフ王の第1ピラミッド |
■クフ王の第1ピラミッドの盗掘口から入ると玄室(王の間)があります。 |
■カフラー王の第2ピラミッド
頂上部に化粧石が残る。 |
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- 地理フィート
- 経度・緯度の1度を36万分の1した尺度。1.5倍して地球キュービットという。
- 材料
- ピラミッドの材料は石灰岩です。ピラミッドの中身も同様です。平均2.5d、大きい物では玄室天井の50dもあります。上質石灰岩は対岸のトゥーラから運びました。
- 内部の部屋や通路用にはアスワンでとれる花崗岩が用いられました。
- 砂岩は建物や彫刻に使用されました。
- 方向・位置
- 真北に向かっています。
- 日が沈むナイル河西岸の洪水時に冠水しない丘で岩盤が硬いところ。
- エジプト人は星信仰を持っていたが、後に太陽信仰へと変わっていきました。ギザの3大ピラミッドはオリオン座の三つ星と一致しています。また1/43200の縮図。
- 構造
- 最古の時代、マスタバという日干し泥レンガを積んで作りました。
- マスタバの次の時代には、石造りの階段ピラミッドが造られました。
- 初期のピラミッドは側面が段々の階段状でした。
- 星の光はそこへ至る道とみなし、内部から宇宙へ向けての採光窓を設けました。
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ジョセル王の階段ピラミッド
- BC2680年頃、マスタバの次の時代には、建築士イムホテプがサッカラにジョセル王の石造りの6段方形階段ピラミッドを造りました。表面を磨いた石灰岩で覆いました。地下の石盤の中に玄室が設けられていました。
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■サッカラの階段ピラミッド |
セネフェル王ピラミッド
- BC2575〜2551年 ダハシュールに下方が急斜面で上部が緩やかな斜面の屈折ピラミッドを建造しました。従来の小さな石塊から大きな平石で造られています。特徴としては入口とからの玄室が2つづつあります。また、玄室の天上の張り方や盗難予防の封鎖のし方は工夫されました。
- メイドウムのピラミッドは、当初8段の階段ピラミッドを造り、その上に表面を上質石灰岩で仕上げた正ピラミッドを造りました。
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■ダハシュールの屈折ピラミッド |
ピラミッド建造方法
- ヘロドトスによるとギザの大ピラミッドは10万人の建造労働者が20年かけて造ったといいますが現在では、4千人の建造労働者が一年中働きナイル河氾濫期に農民が大勢手伝ったと言われています。ピラミッド近くの遺跡を調べてみると、建造労働者は奴隷的な扱いを受けたのではなく、仕事が終わつて労働者専用の家に帰宅したらビールをのみ豊かな食べ物を食べていたと推測されています。
- 巨石はナイル河沿いの石切場から帆掛船でピラミッド近くの河岸まで運ばれ、そこから斜面の道(斜道)を大勢の人々が木のそりを丸太(ころ)の上を滑らせてピラミッドの上まで引っ張って運んだと考えられます。斜道はピラミッドが高くなるに連れ長く高くする必要があります。また、車輪が発明されていたので低くて頑丈な荷車を利用した可能性はあります。一方、螺旋状の階段を設けて上まで運んだと言う説もありますが、これは角を運ぶのは無理と思われます。
- 設計図や模型を用いて建造しました。
- 定礎の儀式を行いました。
- 書記は石材の量、道具の種類および建造進捗状況の記録を取りました
- 道具
- 道具は貴重品であったため、毎朝、現場監督者が建造労働者に配り、夕方回収しました。
- ものさしとしてはキュービットという腕尺(約52.4p)を用いました。
- そり、ころ、縄。
- 車輪つきの高い梯子。ただし、滑車はなかった。
- 青銅のノミ、斧、鋸、ノミ、ナイフ、石工の槌、硬い岩石。
- 磨き石、石のドリル
- 鳩の尾形かすがい
- 水準桿−−−水平器
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■大スフィンクス
ライオン人間の形をしており、東を見つめています。発見当時は、砂に埋もれていました。
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■カフラー王の第2ピラミドを背に東を向いた大スフィンクス像。悠久の時を刻み何かを見つめているような。やさしく微笑んでいるような。何かを待っているような表情をしている。 |
■いつ来るのかなァー |
・カフラー王 第2ピラミッドの参道先に位置しています。 |
■顔はカフラー王、姿はライオン
風水砂熱に耐えて、体は少しづつ崩れながら永遠に存在し続けている。いつまでも。 |
・エジプトのピラミッドより建造年代がかなり古く、紀元前9000年〜紀元前11000年頃と最近いわれています。水による浸食の跡が見られます。 |
メキシコのピラミッド
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- 建造目的
- 神殿。神官は頂上の神殿で神聖な儀式(生け贄を捧げる)を行いました。
- 構造
- 階段やテラスがあり、頂上は平坦です。
- 他の宗教的な建物との複合体。
- 墓の上にも建てられました。
- ピラミッドの中身は割石を積み重ねてあります。
- テオティワカンのピラミッド
- AD150年頃太陽と月のピラミッドが建造されました。太陽のピラミッドをみると底部はエジプト ギザのピラミッドとほぼ同じの面積、高さは約1/2で、石・土は38%(約250万トン)で、内部は空洞があるのみです。
- オルメカ人はBC1000年頃、ラ・ベェンタに土盛りのピラミッドを作りました。
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マヤのピラミッド
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- 場所
- 時期
- 構造
- エジブトのピラミッドより急な角度です。(頂上に近くなるほど階段が狭まり、急角度に見えるような工夫がなされています)
- 材料は石材と石灰モルタルです。
- マヤ人は天文学に秀でており、太陽、月および星々に合わせてピラミッドを設計しました。
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南米のピラミッド
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ペルー北部沿岸のワカ・デル・ソル、ワカ・デル・ソナ ピラミッド
- モチェ人が2〜3層建の泥レンガで作りました。また、漆喰で覆った上に彩色壁画を施しました。
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