7.神戸市灘区八幡町3の道標

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神戸市灘区八幡町3丁目2 南から北西への道から、北に別れる参道の鳥居の東に南を正面に建つ
(八幡社参道の南、鳥居の南東前)
香匣(こうばこ)形角柱 181x35x25p(頂高10p)(台石37x66x66p)
N34.717591 E135.235552


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南面
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│攝津國八幡社            │
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東面
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│  是ヨリ八丁 上         │
└――――――――――――――――――┘

北面
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│(なし)              │
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西面
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│  伊豫守大江朝臣成美書      │
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(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では灘区9)
(延享三(丙寅)(1746)年以後、天保二(辛卯)年九月二十四日(1831年10月29日土曜日)以前の建立となろう。)
(八幡社は明治の地図でも今と同じ位置と思われ、「是ヨリ八丁上」を手掛かりに、現神社より真っすぐ870m南
 に下ると、烏帽子町1丁目、烏帽子中学南東の旧西國街道の四辻辺りになり
N34.710404 E135.238884
 此処に建っていたものか。
  南下する道は明治の地図で小径で描かれる。少し東の間路(現八幡本通り)を採った場合は9丁となる。)
(「伊豫守大江朝臣成美」は、Web上で「大江成美(延享3年〜天保2年)書家、伊勢の人。大炊御門の上田家を継
 ぎ、字は君山。号は蘭エン(田扁に宛と書く)。通称上田伊豫守。京都の人。安井門前月見町に住し和様の書をよ
 くした。天保二年九月二十四日に八十四歳で没。」とあり、これを信ずるところ天保二年の84年前から、天保二
 年迄の建立と出来る。
  又、蜀山人(太田南畝)の『革令紀行』に、石屋川から河原町(現鹿ノ下通辺りか)の間に当道標の記述がなく、
 見落としたのでなければ無かったとし、建立時期は、同紀行の文化元年八月十八日(1804年9月8日金曜日)より後
 で天保二(辛卯)年九月二十四日(1831年10月29日土曜日)以前の建立と出来る。
  国立国会図書館デジタルアーカイブの『蜀山人全集.巻1』吉川弘文館の『革令紀行』のコマ96辺り。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北に望む
 この状況では  「六甲山頂上…」  山頂「三、七二六」は
 住吉へは右に登る】  「住吉ニ到ル…」】  少し伸びたかも知れぬ】

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【4.道標東面拡大 【5.道標前より南西を望む
 「是ヨリ八丁 上」  奥(南西)都賀村へ
 と読める】  右(北西)摩耶山へ】

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【6.神戸市東部の道標】
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