6.伊丹市北伊丹1の道標

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伊丹市北伊丹1丁目 東西の西国街道と南北の多田街道が交差する四辻の北東部に建つ
(辻の碑の南、元は四辻の北西角に立っていたとある。『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』より)
石道標(尖頭角柱、凝灰岩) 102x19.5x12.5p
N34.79265 E135.41716


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南面
┌─―――――――――――――――┐
│従是多田御社江 一里半     │
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北面
┌─―――――――――――――――┐
│元禄十四年辛巳歳十一月松田氏信福│
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘





(元禄十四年十一月1日なら1701年11月30日水曜日となる。)
(現在地から多田神社へ旧道(火打から西多田)を想定すると、8q以上となり、
 「一里半」(5.9q)とは差が多すぎる。
 「多田御社」が今の多田神社を示すなら、元位置は半里ほど北(川西市久代辺り)であったか、
 或いは距離記述を誤ったとするか。)
(『伊丹古絵図集成(本編)』の中国行程記に、この辻が描かれており、道標の絵こそ無いが、
 「此道多田御社江行当所より一里半程有り」
 との説明が書かれている。よって、誤って彫ったか、多田御社が今の多田神社でないとすべきであろう。)
(2022年1月追記。但し、神社や寺への距離を示す場合短く書くことが多いのも事実である。
 又、中国行程記の製作年代が明和元年(1764年)頃とあり、この道標を写した可能性もある。)
(因みに、国会図書館デジタルライブラリ、『摂津名所図会』のコマ番号27に、
 辻の風景が描かれているが、道標は画かれていない。)

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【1.北を望む、元位置は写真左側街路灯辺りか】 【2.伊丹中央部道標地図(明治18(1886)年)】

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【3.中国行程記
 図、左上赤枠内、
 道標の距離とピッタリと
 一致する記述がある。】
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