27.尼崎市東園田町4園和小学校北東の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
尼崎市東園田町4丁目 阪急園田駅方面から商店街を北に抜けた五叉路の中の植え込みに南を正面に建つ
(尼崎市東園田町4丁目73−2にある園和小学校の北東にあたる。)
四角柱 142x南面31.5x28p
N34.754694 E135.447805


写真cimg0455

写真cimg0457

写真cimg0456

南面
┌─――――――――――――――――┐
│  はがミ            │
│左     白井神社       │
│   さん            │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――┐
│施主 大阪 銅亞鉛精錬販賣    │
│       岡本関三商店    │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│大正五年六月建之 周旋人     │
│          牧野正導   │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(大正五年は、西暦1916年)
(『尼崎の道標を訪ね歩く』平成27年荒木勉では4)
(同書に再建の経緯が書かれており、それによると「元の古い道標を施主の会社の車が、破壊した為再建した。」
 とあり、古くは同様の道標が建っていた様である。)
(はがミ=歯の神様で、白井神社を指す。法界寺村の北にも白井神社(現、園田東中の西)があるが、穴太の
 白井神社を指すものであろう。)
(この地は、明治44年地図には道さえ描かれておらず、大正12年の地図には辻の無い小径が書かれている。
 大正5年の記銘からすると、辻が無かった場合移設の可能性はあるが、昭和七年修正の地図では、幅一間以上
 の道の四辻となっており、現在の園田駅からきた場合は、左折すべき位置でもあり、元のままかもしれない。)
(『みちしるべ』尼崎郷土史研究会会誌41号に、地元古老の話として「元は、白井神社南のY家の前の街道角に
 あった。」とし、図示されている地点を見ると、東園田町4丁目
N34.754685 E135.445691
 辺りを指している様だ。ここであるなら、わざわざ遠くへ移設する必要性は何であったのだろうか。)

写真eimg0173 写真eimg0174 写真eimg0175
【1.道標を東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北に望む
 右(西)穴太へ  奥(西)穴太へ  奥、園田駅からの
 左、県道606号】  神社は150m先を北へ】  商店街の続きを北へ】

写真eimg0017
【4.尼崎の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ