1.池田市石橋3札場の道標

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池田市石橋3丁目3、阪急宝塚線踏切の北東部に建つ
ドーム型角柱 57x東面17x19p(頂高4p)
N34.80505 E135.44614


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南面
┌────――――――――――――――┐
│天保二卯九月            │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│右  妙見             │
│すぐ 西宮             │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│右 西宮  施(主大坂天満)    │
│左 大坂              │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│すぐ 大坂京            │
│左  いけだ            │
└――─―――――――――――――――┘
(「だ」は変体仮名「多゛」)


(天保二(辛卯)年九月1日なら、1831年10月6日木曜日となる。)
(( )部は『池田を歩く』市教育委員会平成16年1より)
(同書の現在位置は、踏切東からやや南の旧能勢街道沿いにあると表現されているが、
 現在(2017年)位置は、より元の位置に近い、踏切北東部フェンス脇に移されたようである。)
 線路のために、西国街道と大坂道(旧能勢街道、刀根山への道)は直交していないが、元は、
 四辻であったと想像する。四つ辻の南西角に、北面を正面にすれば、ほぼ合いそう。
  明治の地図では、刀根山への旧街道の他、今の線路沿いにあたる、能勢街道も合流しており
 五辻となっているので、天保の時代には、もはや五辻とすべきかもしれないが、同書の辻の復
 元図は、四辻としており、水路が書かれている。)
(現在は少し深く埋められた状態で建っており、北面の「施主」の主、以下が見えない。)
(道標の頭頂部には、「+」印が彫られており、明治時代の道標では見た記憶があるが、何を意
 味するのであろうか。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標と高札場を西に望む
 右(東)左が西国街道  左奥、能勢道刀根山へ  線路の向うが能勢道
 奥(線路西)能勢道】  左(東)右が西国街道】  右(北)石橋駅へ】

写真dimg3469 写真dimg3459
【4.道標の頭頂部(上が西) 【5.高札場の案内地図】
 なぜか「+」印が
 方位を示すのか】

写真dimg2709
【6.池田南部の道標】
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