62.西宮市小松南町の尼崎藩領境界石

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 と西宮岡太神社の石標

西宮市小松南町2丁目岡太(あた)神社境内の東部に建つ
藩の境界を示す石標と、社名を示す石標の二つが北、南に並んで建つ
境界石(尖頭角柱) 162x21x22(西面)p(頂高5p)
N34.72135 E135.37983


写真cimg0618

写真cimg0619

写真cimg0621

写真cimg0620

「藩領境界石」(北側にある)
西面
┌─――――――――――――――――┐
│    尼崎領          │
│従是西     入組       │
│    他領           │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│従是東尼崎領           │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│従是東尼崎領           │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘





(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、尼崎藩領界碑)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、2。
 同書では、建立時期不明。神社の前を東西に走る中国街道に有ったものを移設。とある)
(尼崎藩領については、「Web版図説尼崎の歴史」
 近世編第2部、成長する摂津地域1、明和上知前後の摂津国内所領変遷
 に詳しい。)

写真cimg6604 写真cimg6606 写真cimg0617
【1.藩領界碑を北東に望む 【2.藩領界碑を南西に望む 【3.神社の縁起
 北に旧国道  右後ろ枠外に本殿  岡太で「あた」と
 東300mに武庫川】  左は東側の道】  読むらしい】

写真dimg3829
【4.西宮南部の道標】

写真cimg0622

「社標」(南側にある)
西面
┌─――――――――――――――――┐
│ 小松村             │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│岡太社              │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│(写真なし)           │
└―――――――――――――――――┘
東面
┌─――――――――――――――――┐
│(写真なし)           │
└―――――――――――――――――┘


「案内板」

 岡太神社の石標
 この社は江戸中期の碩儒
並河誠所が有志と、社殿の廃滅や
祭神の由緒などの誤り伝えられて
いた延喜式所載の摂津国の古社
二十社につき踏査考定して、正しい
社名を明らかにするため、時の社寺
奉行大岡越前守忠相に上申し
元文元年(皇紀二、三九六
     西暦一、七三六年)から
翌年にかけて建立した碑石の一つです。
 表面に神名帳に記載の社名
 側面に村名裏面台石に同志
 菅広房 山口屋井兵衛)の
 名が刻されています。

文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ