31、32.伊丹市荒牧3の尼崎藩領碑

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伊丹市荒牧3−6 天日神社境内に南を正面に二基が建つ
「東側」境界石(尖頭角柱) 185x21.5x19p(頂高5p)(基部18p含む)
「西側」境界石(尖頭角柱) 212x21.5x19p(頂高7p)(基部12p含む)上から63pで折損
N34.81048 E135.37714


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「二基の内東側」
南面
┌─――――――――――――――┐
│従是東尼崎領         │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│従是東尼崎領         │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│(無し)           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│従是東尼崎領         │
└―――――――――――――――┘

「二基の内西側」、折れたあとあり
南面
┌─――――――――――――――┐
│従是西南尼崎領        │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│従是西南尼崎領        │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│従是西南尼崎領        │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│(無し)           │
└―――――――――――――――┘


(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』では、
 「『尼崎地域史研究』によると、この2基は荒牧2丁目の村の西端と、
 同4丁目にある大阪芸大の敷地内に建っていたようだ」とある。
 碑文からすると、現東側の碑が2丁目で、西側の碑が4丁目にあったものか。)
(又、同書には、伊丹市立博物館所蔵の鴻池向林の領境界石の記述もあるが、未確認。)
(尼崎藩領については、「Web版図説尼崎の歴史」
 近世編第2部、成長する摂津地域1、明和上知前後の摂津国内所領変遷
 に詳しい。)

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【1.鳥居の奥、本殿の左側】 【2.伊丹北部の道標(明治42年)】 【3.鳥居の間に見える】
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