4.伊丹市妙宣寺の道標

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伊丹市大鹿4丁目 妙宣寺門前西から東への参道の入り口北側に
西を正面に建つ
石道標(尖頭角柱、凝灰岩) 102x19.5x12.5㎝(頂高5㎝)
N34.789438 E135.40925


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南面
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│古れより壱町北        │
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東面
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│文化八辛未二月 日琮 立之  │
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西面
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│大覚大僧正杖竹古跡      │
└―――――――――――――――┘

北面
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│(なし)           │
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(壱は壹の略字、一の意。)
(文化八年二月一日なら、西暦1811年2月23日土曜日)
(今は杖竹古跡とされる場所にあり、「これより1丁北」の案内にそぐわない為移設と思われるが、
 場所の同定は難しい。明治18年の地図に現在地(4.妙宣寺)を挙げておきます。
 四捨五入として、55mから163m(0.5~1.4丁)の範囲で南を探すか、短めに書くことが多いと
 するなら218m(2丁)程に延ばしても良いか。)

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【1.左端白塀の角に道標】 【2.伊丹中央部道標地図(明治18(1886)年)】

(「日琮」について、道標のある道の西側に建つ「…卓杖竹之碑」に同じ名前が見え、
 『天保六年乙未初夏
   大鹿村 前妙宣寺両本山七十六世 日琮 撰
    施主 総檀那中』 とあり、
 天保六年四月は1835年4月で、道標建立後24年となり、同一人物の可能性はある。
 「撰」とは、文を記すことの意。)

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【3.北面上部】 【4.北面下部】
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