19.伊丹市寺本2丁目の妙見道標

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伊丹市寺本2丁目138の県道333号が小さな水路を北に越えた
東側民家の塀に沿って西を正面に建つ(辻の北東部)
山形角柱 41x17.5x10.5p(頂高3p)
N34.776096 E135.386145


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西面
┌─――――――――――――――┐
│           備前  │
│(釘抜紋)左 妙見道     │
│           小原町 │
└―――――――――――――――┘
(「前」の「リ」の部分が「々」と彫られている。)
(「原」は「百」の下に「小」と彫られている。)
(「伊丹の道標をたずね古道を歩く」では
 備□
 小□とある。)

南面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし?)          │
└―――――――――――――――┘


(西南(髭茶屋・武庫川方面)から来る道とクランク状(東から北へ)
の333号線が交わる四つ辻で、西から来て、左へ向かえば、徐々に
北東に向き、昆陽池の北・大野・川西市加茂の方へと続き、池田から
妙見山へ行くことは可能。)
(備前小原町は『慶安年間の城下絵図には「又兵衛町」と見え、延宝4年小原町と改称(諸用留)、
「吉備温故秘録」によると、妙恩寺口とも呼ばれていた。昭和45年岡山市清輝橋1〜4丁目、
清輝本町となる。』と角川地名大辞典にある。
現在では岡山市北区…である。)
(釘抜紋が珍しい上に、施主や願主の表現無く、住所と思われるものが彫られる等興味深い道標である。
裏面は無さそうだが、表面下部分は是非見てみたいものである。)
(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』に「元昆陽井(こやゆ)の近くに建っていた」とあるが、
 現在も昆陽井のすぐ北(数m)にある。近くとはどこを指したものか不明。
 「昆陽井」は、下図の北西「池尻村」から「十三字山道」の東側を通り、
 「20.寺本3道標」の西を過ぎ、「19.寺本2道標」の西で東に折れ、
 「21.寺本2常夜燈」の南を流れてゆく用水全体を指すようで、
 井戸や泉のように地点を表すものではないと思う。)
(『広報いたみ』(56年8月15日号)の「20.寺本3道標」の記事に、
 「昆陽里バス停から北へ、寺本の入口、昆陽井にかかる橋の向う側に「左妙見」ときざんだ小さい道標がある。
 指示にしたがって左折、昆陽井の右岸を上ると、西方尼宝線から上ってくる道との合点に「たぬき橋」というのがある。…」
 を信じるなら、民家の塀の南側、用水との間に南面して建っていたものか。写真【2.北を望む】の右側花壇辺りか?)
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【1.道標北側より南を望む 【2.道標を北に望む 【3.伊丹古絵図集成 【4.寺本村近辺の道標
 左端に道標、右側黒い欄干が  北へ現県道333号  「寺本村(明治13年)  伊丹古絵図集成
 昆陽井に架かる橋】  (中山道)が伸びる】  全図」参照】  「元禄三年池尻村絵図」】

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【5.伊丹西部の道標(明治44年)】

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【6.伊丹南部の道標(明治18年)】
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