17.伊丹市北本町1の道標

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伊丹市北本町一丁目165南から来た道が北東と北西に分岐する三叉路の北部分に南を正面として建つ
(背後に地蔵堂がある)
(北西方面への道が多田街道、北東方面へは池田道)
角柱 91.5x23x21p
N34.785446 E135.41765


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南面
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│     右京  池田    │
│(地蔵像)          │
│     左多田 久代    │
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東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
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北面
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│(なし)           │
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西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
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(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』に、「道標上部に地蔵像が彫られ、「立石地蔵」と呼ばれ…
 地元では「京口のしるべ」とも云われている。」とある様に、城郭の出入り口の名称が残ったものか。
 今でも、「北の口」というバス停がある。
 『広報いたみ』昭和56年5月15日号にも「近くの人の話では、今は地蔵さんとしてまつられている」
 とあるが、文化十年伊丹之図を見ると、城下最初の分岐点であり、京都、多田いずれの方面へも、通行量
 は多いと考えられ、「道標としての価値は高かった(地蔵が主ではない)」であろうと思う。)
(左、北西方向が多田街道とされ、産業道路で分断されているも、伊丹坂トンネルの東からは、案内板等も
 整備され、昔の面影がよく残っている。トンネルは河岸段丘を残すためのもので、その北東には、
 「辻の碑(つじのいしぶみ)」が建っている。)

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【1.北を望む、分岐点中央に道標】 【2.伊丹市立博物館道標地図より】

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【3.伊丹中央部の道標(明治18年地図)】 【4.文化十年伊丹之図】
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