28.伊丹市船原1伊丹小学校内道標

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伊丹市船原1丁目伊丹小学校東門(正門)入って南側の校庭に北東を正面に建つ
山形角柱 108x25x18p(頂高7p)指差円形部直径15p
N34.782209 E135.413557


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北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(指差し図)右 伊丹西之宮尼ケ(崎)│
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』では市内で唯一「指差し手形」を持つ道標としている。)
(この近辺にあって伊丹が右方面(ここ自体が伊丹(注1参照))で、かつ西宮・尼崎に続く道は考
 えにくいが、今の場所の南50m(伊丹小学校の南東の四辻)にあって、正面が西を向
 いていたなら、この六辻(一見四辻)を西から来て、南東に右折すると、元の伊丹市役所
(伊丹市中央3丁目)があった辺りへ出て、県道13号(尼崎池田線)に当たり、南へ
 行けば尼崎、途中南町から県道336号(東富松御願塚線)に入り(旧街道なら伊丹4丁
 目辺りで分岐していたか)、尼崎市富松で県道606号(豊中西宮線)につなげば、西宮
 へも行ける。よって元位置は伊丹小学校南東角か。
  今の小学校を貫く西からの道が現地点で、南北の道に突き当たり三叉路に建っていたと
 すれば、現位置で、北東面が西に面して建っていれば辻褄があ合うが、江戸時代の絵図や
 明治の地図では、その様な道が確認できない。)

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【1.伊丹小学校南東角から南東を望む】 【2.明治18年地図、中央下部】

【六辻の説明】
 手前左から、右奥駅方面(南北)と、左右(東西)の太い道(県道334号)が四辻を作り。
 正面やや左、傘を差した人が立つ後ろが「元の伊丹市役所」方面(石垣の上に沿う)道で、
 正面右寄り、車用信号機の柱が立つ後ろがもう一本(石垣の下に沿う)の道である。
(注1.記銘が無いため時代が判らないが、江戸末期とし「天保15(1844)年伊丹郷町分間絵図」(下記)
 を見れば、現小学校は、伊丹の外になり、現南東の辻の東から昆陽口村(伊丹郷町)とされたようで、
 伊丹町内で伊丹を指すと言う矛盾は起きないようだ。)

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【3.天保15年分間絵図上想定位置】

 尚、西宮へは、尼崎(南方)への道をたどり、図より南(外城村)で南西(御願塚村)へ分岐する。
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