23.伊丹市大野2立江地蔵の道標

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伊丹市大野2丁目51、県道333号(北東への道)と荻野小学校方面(北西)への新しい道
がY字型に分岐する交差点の北東40mの、333号線の西側に、南面を正面に建つ
蒲鉾型形角柱 79x19x14p(頂高3p)
N34.801666 E135.39757


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南面           (コンクリート製台座部)
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│(地蔵像)右 妙見   ││ 卍右妙見   │
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東面
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│(なし)        │
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西面
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│(なし)        │
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北面
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│(不明)        │
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(『広報いたみ』昭和56年11月15日号に、「この分岐点で「左荻野」は農道だからやめにして、
 本街道の本命である妙見だけを明示したものであろう。」と、移設は無かったと受け取れる記述がある。
  位置が変わっていないとすれば、南東からきた細道(東野村からの路地)の突き当りの三叉路とも見え、
 右、池田経由、能勢の妙見への案内だけで十分で、農道への配慮は特に必要ではないと思う。
  一方、『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』では、北東への道を「池田道」(行基道)と説明した上で、
 「明治十(1877)年頃、瑞ヶ池の近くから移設」としている。これを採るなら、中山道(寺本、昆陽池北部、
 瑞ヶ池北西部、荻野)から、北東に池田道(県道333号)(東野、大野、加茂)が分岐する地点(現在の道標
 設置点より600m南、瑞原2丁目)や、同じく260m南の三差路(池田道から荻野への分岐点、瑞原3丁目)
 等を、元の位置の候補にすべきであろう。
  石の形などから、本来は地蔵尊ではなく道標と思われ、移設後に堂に納め、祀ったと考えたい。
 因みに、堂の後ろに建つ顕彰碑は、道標移設後の建立である。)

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【1.北を望む、奥への道が「池田道」】 【2.博物館による道】

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【3.伊丹北西部の道標(明治44年)】 【4.山本村絵図(延宝四年)】
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