26.伊丹市鈴原4町村境碑

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伊丹市鈴原4丁目3東西に走る道路に矢印型に交わる四辻の北西部に建つ
角柱 75x18(西面)x17p
N34.774890 E135.40702


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北面
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│町村境            │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│町村境            │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│伊丹町            │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(この碑のある西側が稲野村、東側が伊丹町であった。)
(明治22年(1889)4月1日市町村制施行、昭和15年(1940)11月10、稲野村・伊丹町合併、
 よってこの間に設置されたものと思われる。
 明治22年の稲野村は西野・中野・東野・池尻・寺本・昆陽・千僧・山田・野間・南野・御願塚から成っており、
 この地点は、昆陽と伊丹町の境だったと思われるが、「稲野村」の表記が無いので、伊丹町が建てたのであろう。
 昭和4年までの地図ではここに道は無く、畦道らしきものさえ無いので、建てる必要は無かったと思うが、
 水路の権利を明確にするためのものか。)
(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』では市内唯一の町村境界石とある。)

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【1.北西を望む、中央ミラー下】 【2.南野村北東に大小二つの池あり、
 
 小井の内から西の小池へ流れ込む
 
 水路と15m等高線の交わる北辺
 
 り(町境線は点線)】
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