5.瑞輪寺笠塔婆台座の道標

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豊中市中桜塚2丁目2 瑞輪寺の駐車場南側に北を正面に建つ
笠塔婆型 総高226p
 相輪56x23φcm
 笠部25x北面67x73p(天面31x31cm)
 塔身94x北面34x34.5cm
 基部33x北面64x61p
 基壇19x北面87x83p(南北二石)
 (像部43x28x彫5、盛2p)
N34.780028 E135.467676


写真cimg0933  写真eimg1526

写真cimg0948

写真cimg0949

写真cimg0950

【塔婆竿部】           【台座部】
北面                北面
                    ┌─―┐
                 ┌―┐│右 │
┌─――――――――――――――┐│ ││ 大│
│       大峯      ││ ││ 坂│
│(役行者椅像)三十三度拝禮  ││ ││  │
│       山上      ││ ││左 │
└―――――――――――――――┘│ ││ 京│
                 └―┘│ 道│
                    └――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│摂津国箕面山岩本坊權僧正直同 │
│ 願主櫻塚村先達       │
│  權大僧都花蔵院      │
│   俗名忠兵衛       │
└―――――――――――――――┘
(「…直同」の下は、継ぎ石で補修か)

西面
┌─――――――――――――――┐
│天下泰平国土安穏       │
│風雨順時五穀成就       │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│干時文政八乙酉年八月吉日建之 │
└―――――――――――――――┘


(東面、西面、南面は、「近畿地方の歴史の道2」より)
(他の資料で、「岩本坊權僧正直同」を「岩本坊權僧正道同」、
 「干時文政八乙酉年」を「一丁時文政八乙酉年」とするものあるが、「干時」であろう。)
(文政八年八月一日なら、西暦1825年9月13日火曜日となるが、笠塔婆の各部の石を見ると、寄せ集め
 感があり、道標部(基壇部)が、文政八年である確証はない。)
(笠塔婆は門を挟んで北側にもう一基「昭和四年五月吉日建之」の同様石がある。)
(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B2_13)
(同書に、「もとは、能勢街道沿いにある桜塚碑東側の荒神塚の頂上で、西側を正面に立っていた…」
 とあり移設されている。
 荒神塚の位置は不案内であるが、上記の記述等から、中桜塚2丁目27の桜塚ショッピングセンター、
 或いは、そこの道を挟んで北側、瑞輪寺の南側地点、と推測出来るが、明治の地図では、そこに辻ら
 しき物は見えない。道の無い所に案内(道標)を建てる事はないであろうから、もしそこに立ってい
 たなら、笠塔婆として塚の頂に置いたもので、道標としては更に別の位置から移設されたと想像する。
  道を主体に、明治の地図で、見当を付けると、市立福祉会館の西40mの、現在は五叉路となる辻
N34.779133 E135.467367
 辺りが相応しいと思う。(下記写真5.参照)
 道標の案内からすると、辻の南東部に、西、又は北西を正面として建てられていたのではないか。
  又、京道の説明として、「市立福祉会館北側を東(北東?)行して熊野田方面に向かい、やがて勝
 尾寺街道と合流して西国街道から京に向かいます。」とあり、当資料ではその道を、明治時代の「山
 田街道」の一部としている。
 「京」を案内する道標として、「15.中桜塚5の道標」があるが、まさに上記の道が、箕面街道と
 交差する地点に立っており、旧道は桜塚高校などで無くなっているが、北東700m程の距離になる。
 当時、京への主要道路であったのかも知れない。
 尚、京道を補足すると、北東に進み、R176号の市役所前交叉点の南に出て、ここで道は途切れ、中桜
 塚5丁目1の旧箕面街道との交差点から、再び東への道が始まり、熊野町、上新田2丁目で北に折れ、
 箕面市今宮で、西国街道につながる道であろう。)

写真eimg1501 写真eimg1534 写真eimg1504 写真eimg1509
【1.道標を南西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を南に望む 【4.道標を東に望む
 画面右、変わった門の左  右端門灯左が当道標  右端が当道標  最下段は南北二石
 の上部尖がった笠塔婆】  左手前に同型塔婆】  最下段が道標部】  から成る】

写真eimg1497 写真eimg0617
【5.元位置を南東に望む 【6.豊中北部の道標】
 左(東)京道
 右奥、能勢道を服部へ】

 2022/9/9修正、「文政八年一月一日なら、西暦1825年2月18日金曜日」を
        「文政八年八月一日なら、西暦1825年9月13日火曜日」に変更。

 2025/3/15 追加
 2025年現在、下部の道案内部分は見えない状況にあります。2022年頃からか。写真を載せる。

写真simg0275 写真simg0273 写真simg0274
【7.寺を西に望む 【8.道標を南に望む 【9.東に向かい
 左奥に道標、下部は  最も下に案内が  隙間を撮ってみるが
 スロープに隠される】  あったのですが】  読む事は難しい】
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