20.池田市建石町の道標

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池田市建石町1、道の南側、星の宮前に北を正面に建つ
自然石 68x上部30x30㎝(x下部北45x40㎝)(文字面高50㎝)
N34.824151 E135.43022


写真cimg0974

写真cimg0975

北面
┌────――――――――――――――┐
│   京              │
│ 左    道           │
│   大坂             │
└――─―――――――――――――――┘

東面、南面、西面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では№9)
(同書に、「元禄十年池田村絵図」に道標前には道が無く迂回とあり、明治の地図でも迂回し
 ている。地形的に迂回する理由もないので、想像ではあるが、現地の神社の敷地を避けて付
 けられた為ではないか。東から西に進む場合は、一本道で案内の必要は無く、西から大阪方
 面に進む場合、神社に当たり、左折(北)したのち、すぐに右折(東)する状況であったと
 思われる。
 そのまま直進(北)すると、今の池田文庫、逸翁美術館方面に戻る様になってしまう。その
 為、何としても、「右」に向かわせる必要があり、道標を置く意味もそこにある。しかし、
 道標は「左」京・大坂としている、なぜか。
  道標が、三差路の南東部に建っていたなら、北方面から来た人には、「左京大坂」で問題
 はなく、能勢道を西から来た人も、その三差路で、右後ろを振り返れば、ここで曲がること
 が出来たと思う。この建て方は、逆に北の巡礼道から分かれて、南下してくる人が多かった
 のでそちらを優先したものかも知れない。
 よって元の位置は、30m北西の、建石町6-2
N34.824339 E135.430068
 三叉路南東部、辺りとしたい。)
(元、能勢街道が北にコの字型に屈曲する部分の南東部に、位置した様に案内板の図にはある、
 北からの道があり三叉路になっているので、その位置ならば左京、大坂の案内は妥当である。
 尚説明板は南北が逆に書かれている。)

写真dimg3546 写真dimg3540 写真dimg3541
【1.道標を東に望む 【2.迂回能勢道を西に望む 【3.迂回能勢道を北西に望む
 左(北)が旧能勢道  左白壁の後ろが神社  奥へ能勢道、すぐ三叉路へ
 鳥居左下が当道標】  昔直進の道は無かった】  手前道両脇に欄干の名残】

写真dimg3543 写真dimg3545
【4.神社北壁の案内図 【5.元位置?を北東に望む
 下を北にして描く  正面、右(東)への三差路
 私見と同じ位置を示す】  波板塀、裏面の交通標識辺りか】

写真dimg2709
【6.池田南部の道標】
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