17.池田市新町1の道標

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池田市新町1−1、西光寺の南側、
能勢街道がクランク状に東から寺をまいて北に曲がる北東角に南面を正面に建つ
ドーム型角柱 76x15x15p(頂高6p)
N34.826186 E135.42446


写真cimg0978

写真cimg0979

写真dimg3330

写真dimg3326

南面
┌────――――――――――――――┐
│右 能勢街道 地黄 亀岡      │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│左 篠山街道 篠山 伊丹      │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

東面(写真4参照)
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では13)
(同書では、「「○○街道」という表記から明治の中頃以降のものと考えられる。」とあり、これに
 従うと、「街道」は行先を示すものでなく、道全体を指す(現国道××号と同様)ものとすれば、
 篠山、伊丹と別々の行先が同一方向の「左」と書かれていても不思議ではなく、左方向に進むと、
 篠山街道に出ることを示しているとしたものでしょう。)
(地黄を池田とする資料があるが、これは誤り。
 能勢街道(現国道173号)を木部町で北東に分岐し亀岡街道(現国道426号)で亀岡へ、木部町から
 北西に能勢街道を進み、川西市一の鳥居から北東に分岐し、現国道477号上に、大阪府豊能郡能勢
 町に地黄という地がある。(又地黄は、能勢妙見宮奥の院のある所でもある。)
  よって、「右」は、能勢街道への案内であり、異なる行先があっても不思議ではない。
 現在の道路案内標識とおなじかきかたである。)
(明治44年刊の地図では、猪名川の東岸(池田側)を能勢街道、西岸(川西側)を篠山街道とし、
 石橋を通る道にも能勢街道と書いており、町内に入って道なりに辿ると、池田職安前交差点を西に
 過ぎ、呉服座の角を北に折れ、30mで左折(西)し、現道標が建っている地点を通り、西30m
 で、現国道173号に出会う道が、能勢街道のように見える。
 現道標地点で北に曲がり60mで西折れし、現国道173号に出るとしても、かまわないが、「左
 篠山街道 伊丹」が不自然である。(篠山街道=篠山から伊丹との解釈は、南面からして不可。)
  やはり、今建っている地点より、西30mの辻の北西部
N34.826340 E135.423991
 辺りに、現南面を東面して置けば、「左」は
 呉服橋を渡り、西岸にあった篠山街道への案内として、ピタリと納まり、伊丹へも、橋を渡る手前
 で土手沿いを、又は橋を渡って後、南でもよく、案内は少しも矛盾しなくなる。
 もちろん、現西本町交差点、又はその北100mの新町交差点、北西部でも同じく案内は一致する。)
(国土交通省hp「道の歴史」明治の国道網より、
 明治9年 国道、県道、里道の定め
 明治18年 44路線認定
 明治44年 66路線
 が挙げられており、調べる予定とする。)
(2022/2/5追記、
 『大阪府史』明治36年刊(昭和36年復刻)に「…明治九年六月太政官通達第六十号を以て定められ
 たる道路…」の中に「一等縦幹線」として国道二十九号線等と共に「能勢街道」がありそれには、
 「起点は西成郡中津村大字下三番国道第二十六号路線に在りて、中津川を越え…神崎川を渡り…諸村
 を点綴して池田町に至り、更に進みて…大字古江より兵庫県川辺郡入る。…」とありその後も1頁近
 くにわたり詳しく述べられており最後に「…池田町の如きは人口千五百余戸有 余野街道、篠山街道
 等の聯路(れんろ)の要衝に当れるを以つて…交通頗(すこぶる)頻繁なりとす。」と締めくくって
 いる。
  又、「篠山街道」も載るが「豊能郡池田町に於ける能勢街道より起り、兵庫県川辺郡川西村に至り
 西向北折して兵庫県多紀郡に入り篠山町に通ずるものとす。管内延長僅(わずか)に四丁三十一間の
 単線に過ぎず。」と二行で済ませている。
  同書にも「其の状態各異なるを以つて能く之れを類別するは極めて難し、然れども…之を大別して
 縦貫横断の二線に分かち、其の等級を定むる時…」とあるようにこの記述からは、能勢街道が国道か
 県道(府道)かは判別できないが多分県道相当と思え、篠山街道も同等と思える。
  依って、上記の元位置は県道の分岐点に建てられたものと思う。現在では国道173号と同176号の
 分岐点となる西本町交差点が20m南にあるが、当時は筋違いの四辻となっていた事が昭和4年修正の
 地図でも確認できる。今昔マップon the web「明治42年測図の地図」参照。)

写真dimg3328 写真dimg3324 写真dimg3327
【1.道標を北に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 後ブロック塀が西光寺  案内板の能勢街道は  左(北)篠山街道は良いが
 奥(北)70m左折のみ】  この北への道とするが?】  伊丹まで北に行く事はない】

写真dimg3326 写真dimg3323 写真dimg3325 写真dimg3333
【4.道標を西に望む 【5.能勢街道の右折地点 【6.能勢街道の案内板 【7.西光寺を北に望む
 能勢街道は奥現R173  とする辻(私見)  図の道は当道標が有る為  右奥(北東)へは
 迄直進し右折して北へ  を西に望む】  ここで曲げた様に見える  巡礼道としたい
 続くとしたい】  
 現国道へ直進が良いのでは】  手前から左へ能勢街道】

写真dimg2709
【8.池田南部の道標】
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