27.豊中市熊野町4−22道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
豊中市熊野町4丁目22−8 山田街道の北側を東西に通る(岡上の町の豊中郵便局の北から、熊野
町1交差点を通り、仏眼寺の南を抜け、熊野町郵便局前交叉点に続く)道から、上記住所の地点で東の
上新田へ向かう(府道2号への接続)道が、分岐する三叉路の北東部に南西を正面に建つ
角柱 61x西面15x10p(上部がやや盛上っているので、頂高1pとする)
N34.791887 E135.48337


写真cimg1069

写真eimg1297

写真eimg1298

写真eimg1300

南西面
┌─――――――――――――――┐
│右 山田新田道        │
└―――――――――――――――┘

南東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

北西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B2_65)
(同書に、「「山田」は現在の山田、「新田」は上新田一帯を指し、いずれもここより東方の、勝尾寺
 街道筋で見受けられる地名…」とあるる。
 明治の地図で見当を付けてみると、この地は、北、現東豊中小学校方面と、東へ小径を辿り、現熊野
 町3丁目の北を過ぎ、二ノ切池の南で、府道2号線に出る道との、分岐点の三叉路であった思われ、
 北への道より、東への道が細かったようで、道標の有る、地主の方の話でも、現在の道に比べ、元は
 非常に狭い道で、西から来ると、道なりに進むと、北へ行きがちであった、との事である。
 よって、此処に案内が必要であったと思われる。(今も、北、熊野町郵便局前への通行量が多い。)
  行先の地名の「山田新田」を一地名とはせず、「山田」と「新田」とに分けた理由として、元禄国
 絵図に同一の村名が存在せず、明治以降の地図にも存在しない、為である。
 そこで、「新田」であるが、「上新田」の集落をさすものと思われが、「新田村」全体を示すとして
 も良い。何故なら、一見方向の違う「下新田」も、明治の地図で見る限り、この地点からは東に進み、
 その後、南へ進む道しか、無いからである。
 次に、「山田」であるが、今の吹田市に当たる、「山田上」、「山田中」、「山田下」等の山田村、
 全体を示すものとしても問題はないであろう。
  但し、遠い「山田」を先に書いている理由は分らない。先に一地名としないと書いたが、現地では
 村名や地名でなく、「山田―新田道」と、道自体の名前としていたものかも知れない。
 この道標は、明治時代の山田街道に抜ける(現、二ノ切バス停東に出る)道を案内したもであろう。)
(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、
 山田街道の北側を東西に通る(岡上の町の豊中郵便局の北から、熊野町1交差点を通り、仏眼寺の南
 の熊野田会館前から、東へ進み熊野田集落の東で府道2号になり更に上新田迄の道を、「勝尾寺街道」
 としている。)

写真eimg1291 写真eimg1293 写真eimg1295 写真eimg1292
【1.道標を北東に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を南に望む 【4.道標を東に望む
 右(東)上新田へ  奥(南西)集落を抜け  奥、仏眼寺へ  右(東)上新田へ
 奥、熊野町郵便局前へ】  仏眼寺方面へ】  左(東)上新田へ】  左、郵便局前へ】

写真eimg1296 写真eimg0617
【5.道標を北に望む 【6.豊中北部の道標】
 道路拡幅による
 移動はあるだろう】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ