17.豊中市上新田3道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
豊中市上新田3丁目10−6 府道2号線から20m程東へ入った、上新田墓地の中の、
ほぼ南向きに建つ六体の地蔵の西(左)横に、南を正面に建つ
(説明の木杭が抜けた状態で、石垣に立てられており、道標自体は、移設されていると解説されている。)
尖頭型角柱 32x南面15.5x14p(頂高3p)(含、下部6pセメント付着部)
N34.800348 E135.497141


写真cimg1116

写真eimg1320

写真eimg1321

写真eimg1322

南面
┌──――――――――――――――┐
│南無阿             │
└――─―――――――――――――┘

西面
┌──――――――――――――――┐
│為万人             │
└――─―――――――――――――┘
(横の木杭に、講願主岸□とある)

東面
┌──――――――――――――――┐
│左 大坂            │
└――─―――――――――――――┘

北面
┌──――――――――――――――┐
│右 くま            │
└――─―――――――――――――┘



写真eimg1326

写真eimg1325

写真eimg1327

写真eimg1328

左横にある白木杭の説明
南面
┌────――――――――――――――┐
│    二00九年三月□□□□氏  │
│南無阿               │
│    当上新田墓地にて見っけられる│
└――─―――――――――――――――┘
(□…□は、発見者の名前であろう、略した。)

西面
┌────――――――――――――――┐
│    講願主岸□が建てたもの   │
│為万人               │
│    大坂道に三基存在する    │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│     横関街道で        │
│左大坂               │
│      大阪・天満へ      │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│     旧在所 旧 新田小学校角 │
│右くま               │
│     三国街道との分岐     │
└――─―――――――――――――――┘


(旧在所 勝尾寺街道・三国街道の合流点 大阪府文化財「旧新田小学校」北の角)
(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、三国街道を、目いぼの渡しから、高川沿いに
 北上し、服部緑地の東端を通り、吹田市の桃山台抜け、再び豊中市の新田で府道2号と合流する道としてお
 り、勝尾寺街道は、岡上の町から熊野町仏眼寺の南を通り、熊野町東で府道2号となり、上新田の東で山田
 街道と分かれ、箕面方面に進む道としている。)
(道標は深く埋められている様に見えるが、下部が遺失しており、スカート状のセメントが、6p程度の高さ
 で付けられて、土の上に置かれているだけで固定はされていない。説明の木杭も含めて仮設状態であろう。)
(木杭の説明通りなら、元位置は、上新田3丁目−3−1の、旧新田小学校の北角
N34.798608 E135.496190
 辺りと思われ、「左くま」が「左熊野田村」を指し、現府道2号を南西に進むことを案内するものであろう。
 明治の地図では、当辻は、三叉路であり、逆Y字型をしている。この南部に、現北面をそのまま北面して置
 けば、案内に不整合は起きない。)
(東面の解説にある「横関街道」は詳しくはないが、神崎川を吹田の榎木の渡しを通るようなので、北条町4
 丁目14で高川西堤防上の道(三国街道)から、東に分かれ、江坂、蔵人を通り、榎木橋を渡る現府道134号
 を示すものであるなら、三国街道へ進めと同義であり、大坂への解説としたものであろう。)
(同じく西面、「願主岸□」としているが、出典は不明である。
 そこで、「大坂道に三基」を手掛かりにすると、箕面市に「為万人講在中法界 願主岸貞」なる道標が、二基
 有るようで、「為万人」を「為万人講」とする事で、これを、同一の願主の根拠とされたものかと思われる。
 下部の遺失前に直接確認された上での、解説であれば良いが。
 尚、「為万人」の下に、言扁の「`」と、旁の上部らしきものが見え、「講」の可能性は高い。
  箕面市の一基と比較してみる。
 石の大きさは、高さを除き、当道標が15.5x14p(頂高3p)で、箕面が15.5x15.5p(頂高4p)とほぼ同じ。
 筆跡は一部、「無」や「坂」が似ていないが、その他はよく似ていると思う。
 石質はどちらも花崗岩であろうが、同種とは思えず、摩耗の度合いは、当道標の方が進んでいる様に見える。)

写真eimg1314 写真eimg1315 写真eimg1316 写真eimg1317
【1.墓地を東に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北東に望む 【4.道標を北西に望む
 右奥、墓地へ  白い木杭と地蔵の  六体の地蔵の左  奥左右は府道2号】
 左右、府道2号】  間に当道標】  更に左に木杭】

写真eimg1331 写真eimg1307 写真eimg0617
【5.道標を西に望む 【6.元位置を南に望む 【7.豊中北部の道標】
 セメントの下は  瓦屋根が旧新田小学校
 土のみ、埋没部は無】  左奥(南)三国街道へ】

願主同定の為、箕面と当道標を比較してみた。左から「講名部」、「六字名号部」、「行先部」とした。
写真eimg4072
【8.左が箕面、右が豊中、箕面六字名号下部に願主名「岸貞」が見える】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ