4.吹田市岸部北2の小路道標

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吹田市岸部北2―6 南北に通る亀岡街道から参詣道が西に分岐する三叉路の北西部に
東を正面に建つ一石五輪塔(下:方形=地輪(ちりん)部に刻まれている)
一石五輪塔 96x南面25x24p(各高、地39、水18、火15、風8、空16cm)
N34.779583 E135.533483


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地輪部
東面
┌────――――――――――――――┐
│        さい(寺)     │
│(梵字)キャ            │
│        是ヨリ(十二丁)  │
└――─―――――――――――――――┘

南面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘
(( )部はすいた歴史散歩より)


(『すいた歴史散歩』<増補版>吹田市教育委員会では、4番目)
(水輪部には、四方向に梵字が刻まれているようだが判読できない。)
(キャは十一面観世音菩薩の種子のようで佐井寺の本尊(市博物館HP)に当たり、矛盾はなさそうである。)
(現在は佐井寺までの距離が読み取れなくなっているが、十二丁が正しいとすると、明治の地図で想定した
 距離1.5qより二丁程度少なくなり、移設されていないとすれば疑問も残る。数字部分を見てみたいもの
 である。
 尚、前述の書では、現、東面を(西)と表現しているので、道路拡張等により回転させられたものと思わ
 れるが、向き(地輪東面の梵字は「キャ」とされるらしい)としては、現在のほうが相応しく思える。)
(『すいた歴史散歩』では「佐井寺観音参詣道」は二本有るとし、「@片山町4−38で亀岡街道から分岐
 して原町を北上し」とし、「Aは岸部北2―6で亀岡街道から分岐して北上し、佐井寺観音に達する道」
 とする。
 まさにこのAの分岐点が、此処であろう。)
(「佐井寺」は、『摂津名所図会』にも載る名所で、一名「山田寺」ともある。
 国会図書館デジタルライブラリ、『摂津名所図会』[6]のコマ番号12を参照。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南に望む
 右奥(北)宇野辺へ  左奥(西)佐井寺へ  左奥(南)天道へ
 左、佐井寺へ】  左右が旧亀岡街道】  右、佐井寺へ】

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【4.道標を西に望む 【5.東面下部拡大 【6.吹田市の道標】
 東面の梵字が見える  中央「…さい」
 地輪が直接埋まり残念】  左下「是ヨリ」と読める】

小路道標の説明板


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小路道標(江戸時代)
          吹田市岸部北二ー六

 この一石五輪塔(いっせきごりんとう)道標は、亀岡街道から佐井寺観
音参詣道が分岐するところにたてられています。
 佐井寺観音信仰が盛んになった江戸時代中ご
ろこの道は、天道から佐井寺に通じる参詣道
とともに、多くの善男男女に利用されました。
                        さい寺
(道標の図)(梵字で)キャ(十一面観世音菩薩)
                        是ヨリ十二丁

五輪は全宇宙の構成を表す。密教で…功徳(くどく)…満たすとして、
平安時代中ごろから供養塔(くようとう)として用いられ、室町時代の頃から一つの
石でつくられたものも現われました。この形の道標は吹田市内唯一です。

(吹田市の地図にこの地を示す)

 昭和六十一年三月 吹田市教育委員会

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