地輪部
東面
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│ さい(寺) │
│(梵字)キャ │
│ 是ヨリ(十二丁) │
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南面
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│(なし) │
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西面
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│(なし) │
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北面
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│(なし) │
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(( )部はすいた歴史散歩より)
【1.道標を北に望む | 【2.道標を北西に望む | 【3.道標を南に望む |
右奥(北)宇野辺へ | 左奥(西)佐井寺へ | 左奥(南)天道へ |
左、佐井寺へ】 | 左右が旧亀岡街道】 | 右、佐井寺へ】 |
【4.道標を西に望む | 【5.東面下部拡大 | 【6.吹田市の道標】 |
東面の梵字が見える | 中央「…さい」 | |
地輪が直接埋まり残念】 | 左下「是ヨリ」と読める】 |
小路道標(江戸時代)
吹田市岸部北二ー六
この一石五輪塔(いっせきごりんとう)道標は、亀岡街道から佐井寺観
音参詣道が分岐するところにたてられています。
佐井寺観音信仰が盛んになった江戸時代中ご
ろこの道は、天道から佐井寺に通じる参詣道
とともに、多くの善男男女に利用されました。
さい寺
(道標の図)(梵字で)キャ(十一面観世音菩薩)
是ヨリ十二丁
五輪は全宇宙の構成を表す。密教で…功徳(くどく)…満たすとして、
平安時代中ごろから供養塔(くようとう)として用いられ、室町時代の頃から一つの
石でつくられたものも現われました。この形の道標は吹田市内唯一です。
(吹田市の地図にこの地を示す)
昭和六十一年三月 吹田市教育委員会