9.高槻市天神町1の道標

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高槻市高槻市天神町1丁目5 東西の西国街道から北に分岐する(廣智寺への参詣道)T字路の北東部に建つ
頭丸型角柱 112x25x25p(頂高4p)
N34.854085 E135.617113


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南面
┌――――――――――――┐
│聖徳太子之作      │
│くわんぜおんぼさ(つ) │
└――――――――――――┘
(「わ、ぼ」は変体仮名「王、本に濁点」、
 観世音菩薩であろう)

東面
┌――――――――――――┐
│當國廿六番       │
│   廣智禅(寺)   │
└――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――┐
│明和四丁亥歳孟秋    │
└――――――――――――┘
(「和、秋」は、篇と旁(左右)を入替え)

北面
┌――――――――――――┐
│なし          │
└――――――――――――┘
(( )部は『高槻の道しるべ』より)


(明和4(丁亥)年七月1日とすると、西暦1767年7月26日日曜日となる。(「孟秋」は陰暦七月を示す。大字
 典より))
(東面の「廣智寺」は西国三十三所札場に類する、摂津国三十三ヶ所(1980年発足か)の26番目となる寺。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、17)
(同書に「かっての天神馬場の1つ西よりの辻に立っている。」とあり、「かって」が今一つ理解できないが、多分移
 設はないものと思われる。当然道路拡張に伴う近接移設はあると思う。2018年時点で、既に4年前とでさえ変わって
 いる。)
(当石を道標とするか、寺標とするか微妙な所であるが、明治の地図を見ると、西国街道から、北「廣智寺」へ向かう
 道の三ツ辻で、ほぼ参道のように見えるが、北に山裾を巡る道がある為、寺を案内する道標とした。
 寺名を、寺のある北に正対させず、「観世音菩薩」を南面させている点が、少し気になる。)
(又、同書に、西面の「秋、和」が「古字」で書かれているとしているが、「動用字」と呼び、「発音や意味が同じで、
 文字の構成要素も同じだが、「偏・旁・冠・脚」の位置関係が違うものを云う。」とする資料をWebで見たが、「広
 辞林」には無し。)

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【1.道標辻を東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北に望む
 奥(東)京へ  奥(西)芥川へ  奥(北)寺へは130m
 左(北)廣智寺へ】  右、廣智寺へ】  左右は西国街道】

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【4.道標を東に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標西面上部
 二車線の道に  「王、本」の変体かな  「明和…」の「和」
 広い歩道が付いた】  は馴染みが薄い】  が左右入れ替わる】

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【7.2014年4月の道標】 【8.2018年4月の道標】
 4年の間にもこれだけ変わっている、道路拡幅で北側に移設か?

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【9.高槻南部の道標】
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