38.宝塚市小浜5の道標

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宝塚市小浜5丁目1 南北の道に東西の道が交差する四辻の南西部に北を正面に建つ
(西宮街道は西から来て北に進む)
尖頭形角柱 84x北面24.5x23.5p(頂高8p)(南面基部43p高さに含まず)
N34.805816 E135.36404


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北面
┌─――――――――――――――――――┐
│ 貞享四(丁卯暦)   右ハ西(宮道)│
│南無阿弥陀佛             │
│  九月吉日      左ハの(道) │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――――┐
│(五郎□□)             │
│(長次□□)             │
│(四良□□)             │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(( )部は『たからづかの道標』(昭和61年刊)15より)
(貞享四年九月一日は、1687年10月6日月曜日となる。)
(現在では、真っすぐ南へ下る道があるが、この時代には無かったものか、右(西)
 崖下へ急坂となるのが西宮への主要道で、その後武庫川を渡り、伊孑志へと続く。
 北へは、小濱宿を抜けると、有馬道となり、イワシ坂を下り上り、米谷へと進む。
 東への道は、安倉村へ続き、有馬道に合流するので、安倉・伊丹・大坂等とすれ
 ば良さそうに思うが、「野道」としたのには、何か理由があるのだろうか。)
(2017/9追記。元位置について。『市史研究紀要たからづか』第19号、宝塚市教育委員会、平成14年刊に、
 東面の人名で上記「五郎」を「五右」としている。
  元位置に関しても、「文政十年(1827)の小浜町絵図にも明瞭にこの道が描かれており、道標の位置も造立
 当初からほとんど変わっていないと思われる。」としている。)

写真dimg1071 写真dimg1089
【1.道標を南に望む 【2.道標を西に望む
 電柱右横に道標  電柱左横に道標
 右(西)西宮へ】  奥(西)西宮へ】

写真dimg1081 写真dimg1077 写真cimg1531
【3.東面下部拡大】 【4.右横の説明板】 【5.北面拡大】

写真dimg0759 写真dimg2112
【6.宝塚東部の道標(明治44年)】 【7.宝塚南部近世の街道】
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