12.宝塚市安倉北2の道標
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宝塚市安倉北2丁目16 安倉第一会館の西側を南北に通る道の東側植込みの中に西面を正面に建つ
(会館の北200mにT字路あり、北は中国自動車道で途切れている、そこに建っていたのか)
自然石 60×54×58p
N34.803979 E135.37171
西面
┌─――――――――――――――┐
│右 大坂ミち │
│左 京ミち │
└―――――――――――――――┘
自然石のため他の面なし
(この地点より北350m程(現道路元標が有)の辻から、南西に京伏見街道が通っている。「京ミち」はそれへの案内か。)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)では5。
それによると、「小浜東口から来る人に方向を指示している。…原位置から移動」とある。
明治44年地図で見ると、東口からここを通り、姥ヶ茶屋に続く有馬道と、南口から小濱村を通らずに
この地の北40mで西から有馬道に合流する道があるが、京方面(東方面)への道は此処から南には見当たらない。
依って、この北200mの三叉路か、小濱村道路元標の建つ四辻(600m)が候補となるが、中国自動車道
(昭和45年(1970)開通)建設により移動とすれば、三叉路の方であろう。
N34.805524 E135.370605
辺りとした。
この位置で北、又は北西に面して立っていたなら、「右大坂道」は有馬道(南進)を示し、左へ進む道は
北東に270mで、上の池の南を通る「京・伏見(池田)街道」に出ることと符合し、碑面に相応しい。
尚、この東への道は、自動車道の下をトンネルで抜けて続き、今でも辿ることが出来る(自転車まで)。)
【1.会館の北より南を望む
【2.有馬道より北を望む
【3.突当り手前より東を望む
ポストの右横に道標
左端奥へ続く道が有馬道
突当T字路の右(南東)20mに
白い車は国道176号】
突当りが元位置と思われる】
有馬道から京道への名残の地下道】
【4.宝塚東部の道標(明治44年)】
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