3.島本町桜井1の道標

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2023年6月5日 追加 読み下し、写真等。面の向き修正(東→北東)
大阪府三島郡島本町桜井1−2 西国街道(現府道67)が南から北東へゆるく曲がる所から、
西に分岐する三叉路の南西部に、ほぼ東を正面に建つ
尖頭形角柱 107x24x21p(頂高4p)(頭頂部7x7p平面)(基部18x28x28p高さに含む)
N34.882027 E135.66454


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北東面
┌―――――――――――――――┐
│右 柳谷           │
│          道    │
│左 西ノ宮楚うし寺      │
└―――――――――――――――┘
(「楚」は変体仮名「そ」、総持寺か)

南東面
┌―――――――――――――――┐
│    伏見         │
│右 京    道       │
│    山崎         │
└―――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――┐
│  桜井郷中清水@兵衛    │
│施主    清水喜右ヱ門   │
│      清水太兵衛    │
└―――――――――――――――┘
(@は「貫」や「四良」二字の可能性も)

南西面
┌―――――――――――――――┐
│慶応三丁卯□三月建之     │
└―――――――――――――――┘


(慶応三(丁卯)年三月1日とすると、西暦1867年4月5日金曜日となる。)
(『史跡をたずねて』島本町教育委員会発行、平成18年刊では、168)
(建設時期が割と新しいにも関わらず、非常に読み難い。触りながらの解読の為、誤りには注意ください。)
(北東面、「右柳谷」は柳谷観音を指すと思われるが、明治の地図で、ここから西に入ると、今の役場前から尺代へ続
 く道に出る道が描かれていない点が気になる。元鶴ヶ池の西を廻っていたと思われるが、地図の記入漏れであればよ
 いが、そうでなければ移設の可能性(北東へ100mの辻)を考えなければならない。
  尚、移設に関しては前記『史跡をたずねて』に載る写真からも東(辻より)に1m程移動しており、近接移設は免
 れない。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を北西に望む
 右(西)八幡神社へ  右奥(北東)山崎へ  左奥(西)八幡神社へ
 奥、西国街道高槻へ】  消火栓の後ろ当道標】  左手前、櫻井駅跡へ】

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【4.道標上部を南西に望む 【5.南東面上部の拡大 【6.南西面の拡大
 左の新標から  「右 京…」  「慶應三丁…」
 この面を北東とした】  以下は良く見えない】  後は触って読めるか】

写真eimg6776
【7.島本町の道標】

追加
(南西面の紀年部分の読み下し「慶応三丁卯□…」は多分「慶応三丁卯歳…」であろう。細かい部分はやはり分らない
 が、全体の雰囲気と上部から、「年、天、載」より近いと思う。
 北西面の人名@はやはり読めない。下記写真はいずれも修正を加えています。
  又、『今昔マップon the web』の明治の地図はこちらで参照可能です。)

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【8.道標南西面】 【9.道標南西面拡大】

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【10.道標北西面下部】 【11.道標北西面拡大】
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