1.神戸市灘区船寺通1の道標

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神戸市灘区船寺通1丁目7の東西の旧西国街道に南北の細い道が直交する四辻の南東部に北を正面に建つ
(国道2号、大石川交差点西120mの四辻南東部)
自然石(三角柱状) 143x52x50p(台石30x77x78p)(北面龕部106x29x-3p)(南面龕部97x15x-4p)
N34.708403 E135.229393


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北面
┌─―――――――――――――――――┐
│      南一丁         │
│厄除東向八幡宮           │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│是よ里               │
│  ま屋山へ一里          │
└――――――――――――――――――┘
(「ま屋山」は「摩耶山」であろう)

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│大正十五年三月建之         │
└――――――――――――――――――┘


(大正十五年は西暦1926年となる。大正十五年は12月24日迄。)
(現在(2020)では神戸市灘区船寺通2−1−25阪神電車高架の南に船寺神社があるが、1967年に高架化したとき
 に大石駅が北の今の位置に移り、大正12年地図では線路北側に神社が見える。その位置は現在では原田中学校の
 すぐ南に見え、線路付け替えにより境内が多少削られたように感じられる。中学校南東端の三ツ辻までがちょうど
 一丁(109m)の距離で問題はなさそうである。ただ、現状の位置では東面の案内が見えず、逆に眼に付く必要性
 の少ない南西面が良く見えて不自然である。三角柱状の形状も考えると、現辻の西側(四辻南西部)角に建ってい
 たと思う。)
(道標の建つ東西の道を旧西国街道としたが、これは明治以前の主要道と思われ、大正12年地図では神社のすぐ南
 を通る道を西國街道(阪神電車の旧軌道、現43号の少し北側)としている。旧道からが主参道であった為か。)
(東面の「摩耶山へ一里」の道は、北を指すより、西を指すとした方が素直で、200m西の国魂線を北に折れJRを潜
 り、畑原から五毛、上野道ではないかと思う。現在の道で十七丁(1.9km)丁石迄が2.5km程度で、合計4.4kmを
 一里(3.9km)として問題は無いでしょう。尚、北に採っても距離は変わらない。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を東に望む
 後左(南)神社へ  奥(南)神社へ  奥(東)御影へ
 奥、阪神岩屋へ】  背後は2号線】  右(南)神社へ】

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【4.道標を東面上部 【5.道標北面右下部 【6.道標を北に望む
 「是よ里」  「南一丁」  左(西)神戸へ
 「 ま屋」とある】  今は1.5丁】  右、芦屋西宮へ】

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【7.道標を東面中部
 「ま屋山」
 とある】

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【8.道標を東面下部 【9.東向八幡宮を西に望む
 「山へ一里」  由緒書きには
 とした】  「船寺神社」とあった】

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【10.神戸市東部の道標】
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