7.神戸市須磨区月見山本町2の道標

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神戸市須磨区月見山本町2丁目5−1 東西の旧西国街道に南北の道が交差する四辻の北西部に南を正面に建つ
尖頭型角柱 281x34x34p(頂高不明)
N34.648936 E135.122217


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南面
┌─――――――――――――――――――┐
│厄除八幡神社             │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――――┐
│右 多井畑村迄距離三十三丁      │
└―――――――――――――――――――┘
(「迄」はしんにゅう扁に「占」と彫る)

北面
┌─――――――――――――――――――┐
│明治十七年一月吉日 發起人      │
│           兵庫松尾二三□ │
└―――――――――――――――――――┘
(『神戸の道標』では「□」を「三」とする)

西面
┌─――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(明治十七年は西暦1884年である。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では須磨区6)
(同書に当道標に関わる氏子惣代から土地所有者への「差入証」が紹介されており興味深い。)
(多井畑村と多井畑厄除八幡神社への道標と思われる。明治の地図では東西の道を「山陽道」としており、ここから
 武庫(浜)離宮の西を通り多井畑峠へ続く間道(現県道65)が描かれ、峠からは現在一部の道が無くなっているが
 多井畑集落の東から神社への参道が見え、最短距離であろう。神戸(東)方面から来て、厄神へ分岐する地点とし
 て道標が置かれているのは自然である。西から来た場合は須磨寺駅辺りからの分岐となりここを通過しない。)
(「多井畑村迄距離三十三丁」は3.6kmである。明治44発行の地図では、山陽電鉄の前身と思われる兵庫電気鉄道の
 月見山駅は道標の北100mの踏切の西側に有った様であるが、明治十七年では鉄道自体が未開通。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北東に望む
 右奥、月見山駅へ  奥、山電須磨寺駅へ  奥(北東)西代へ
 左(南西)須磨へ】  右(北)離宮公園へ】  右、水族館へ】

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【4.道標南面拡大 【5.道標東面拡大 【6.道標北面上部拡大
 「厄除八幡神社」  「右多井畑村…」  「明治十七年…」
 とのみ表現する】  神社は村の入口の上】  下に発起人がある】

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【7.神戸市南西部の道標】
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