4.尼崎市長洲中通2の道標

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尼崎市長洲中通2−13 南からの津戸中道(中国街道でもある)が東西の道に交差する四辻の東
(公園内)に西を正面に建つ
(北へ5m程で北東へ折れる道が津戸中道と考えられ、大きく見れば五叉路になっている。)
尖頭型角柱 147x30x30p(頂高17p)(頭頂部3pほど欠損)
N34.723747 E135.43034


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西面
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│右 尼崎 大坂 (道)      │
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南面
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│右 大坂 京           │
│        道        │
│左 伊丹 有馬          │
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東面
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│文化五年戊辰三月吉日       │
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北面
┌─――――――――――――――――┐
│左 尼崎 西宮          │
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(文化五年三月1日なら、1808年3月27日日曜日となる)
(『尼崎の道標を訪ね歩く』平成27年荒木勉では17、一時他の場所に建っていたらしい。)
(「尼崎市の道標」//space.geocities.jp/fkyws889/miti_amagasaki.htmlによると、
「中国街道と尼崎−伊丹道の交差点(長洲本通3丁目)にあったもの」を移設とある。)
(WEB近世以前の土木・産業遺産によると原位置に再建立)
(北面の「左、尼崎・西宮」が尼崎方面・西宮方面を示すものであれば、西面の「右尼崎」が正しいなら、
この近辺(長洲)では有り得ない案内となる。
尼崎ー西宮を結ぶ一筋の道(西宮ー尼崎(大物)−杭瀬ー常光寺ー神崎川)への案内を示す
ものなら多少納得のいくものとなるが明治の地図でも道がなさそうである。
そこで現北面を東面に90度右にねじると、現西面の「右 尼崎ー大坂道」が中国街道を示し、
全体がうまく説明でき、移設もされていないとする。(公園内でもあり近接移設はされているだろう。))

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む 【4.公園内の道標
 右奥(南)大物へ  奥直進道は明治には無し  左(南)旧中国道大物へ  を北東に望む
 右手前(西)伊丹へ】  奥右(北東)旧中国道神崎へ】  奥尼崎道を伊丹へ】  フェンス向が旧中国街道】

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【5.尼崎の道標】
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