1.西宮市社家町の道標

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西宮市社家町、西宮神社(えべっさん)の南東角境内に常夜灯として建つ(西国街道)
常夜灯竿部 実測できず(総高260p『西宮の道標』より)
N34.73405 E135.3357


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写真cimg2165

竿部に刻字
南面
┌──――――――――――――――┐
│寛政十一年己未十一月吉辰    │
└――─―――――――――――――┘

東面
┌──――――――――――――――┐
│世 平内太郎右衛門       │
│話               │
│人 真宜喜一三右衛門      │
└――─―――――――――――――┘

北面
┌──――――――――――――――┐
│  兵庫            │
│右     道         │
│  はり満           │
└――─―――――――――――――┘

西面
┌──――――――――――――――┐
│       京都       │
│西宮太神宮 左   道     │
│       大坂       │
└――─―――――――――――――┘

(寛政十一年十一月1日なら、西暦1799年11月27日水曜日となる。)
(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、1)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、8。
 同書では、移設され、旧西宮市役所南に建っているとあり、写真の背景も庁舎に見える。
 その後、新庁舎建て替えにより、現在地へ移転されたようである。
 西宮市教育委員会設置の説明板に、「もとは西宮神社の南東、道向かいに建っていた。」とあり、元位置の近くに戻って
 来たことになる。
  明治の地図で確認すると、現在の交差点の中辺りで、微視的に見ると西からの道が南北の道に突き当たる、三叉路とな
 っており、その東部に建っていたのではないかと想像される。
  『山崎通分間延絵図』では、南への道は無く、西からの西国街道は、北へ曲がるように書かれており、この図なら辻の
 北東部に建っていたと想像される。この絵図は、文化3年(1806)完成とされるので、道標建立7年後の様子となる。)
(「山崎通分間絵図」は東京国立博物館のホームページ
 「調査・研究」タグの内の
 「画像検索」で
 『五海道其外分間絵図並見取絵図』を検索し
 『山崎通分間延絵図全1巻』の中の、本文31で見ることが可能。)
(『西宮の道標』では、東面の施主を、真宜(さなぎ)喜三右衛門としている。)

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【1.常夜灯を北東に望む 【2.常夜灯を西に望む 【3.常夜灯を南に望む
 左西宮えびす神社  奥(西)神戸へ  R43左(東)尼崎へ
 右、えべっさん筋】  右、神社土塀】  鳥居左は旧西国街道】

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【4.道標の元位置を 【5.常夜灯を北に俯瞰】 【6.南横案内板】
 南東に望む
 左右R43号線】

写真dimg3829
【7.西宮南部の道標】
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