52.西宮市中屋町5の道標

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西宮市中屋町5−11 西宮中央運動公園西側の道を北進し、御手洗川に架かる高倉橋の南の四辻の南西部に東を正面に建つ
(東西の道は、みたらし通り。すぐ西側には石の常夜灯がある。)
尖頭型角柱 173x38x38p(頂高12p)
N34.751 E135.344556


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東面
┌─――――――――――――――――┐
│廣田社              │
└―――――――――――――――――┘

南面
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│廣田社              │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│廣田社              │
└―――――――――――――――――┘

西面
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│明治三庚午歳十二月生日足日    │
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(この地点より西へ、御手洗川沿いに進むと廣田神社となる。)
(明治三年十二月1日なら1871年1月21日土曜日となる。
 「生日足日」は、『延喜式祝詞』からの出典で、神事・儀式の日を祝っていう言葉らしい。吉日と同じか。)
(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、12)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、12。
 同書には、「この標石は、その昔、西宮から伊丹へと通じる西国街道ぞいに建てられていた
 もので…「51.西宮市神垣町1の道標」と同じ故吉井良郷氏の筆蹟になるもの…」とあり、
 移設としているが、元の場所は、「現在横にある灯大篭の側にきっとあり、灯篭はこの辺り
 の小高い山の上、」とし明確にされていない。
 西国街道沿いで、広田神社への分岐なら、明治の地図で見ると、御手洗川を南へ渡ってすぐ
 の、西宮市中屋町10−11の北辺り(今は橋が20m東に寄っている)
N34.750600 E135.346475
 辺りが候補となるか。)
「51.」道標に先立つこと一ヶ月、共に、旧西国街道から、神社への案内とするには、各々東西に有り、
 相応しいと思う。セットで作られたのであろう。)
「69.広田神社丁石一覧」は、こちらを参照下さい。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を西に望む
 奥(東)旧西国街道へ  奥、R171青木交差点へ  道の先にコンモリ見えるは
 右、R171青木交差点へ】  右、広田神社へ】  広田神社の森か】

写真dimg3829 写真dimg3906
【4.西宮南部の道標】 【5.広田神社丁石一覧】
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