2.宝塚市米谷1旧和田邸内の道標

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宝塚市米谷1丁目8 旧和田邸(市立歴史民俗資料館)内に移設されて建つ。
尖頭形角柱 119x南面25.5x22.5p(頂高10p)
N34.80969 E135.36194


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東面
┌─――――――――――――――┐
│  西の宮          │
│右     道        │
│  兵庫           │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│弘化三丙午年五月       │
│  為釋保淳菩提       │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(弘化3年5月1日なら、グレゴリオ暦1846年5月25日月曜日となる。この年閏5月あり。)
(「為釋保淳菩提」により和田氏子孫の建立と判明し、中国自動車道建設の折、現在地へ移転とのこと。
 「元位置は小浜4丁目8小浜宿東口か」との説明が有る。)
(小浜宿東口の位置が微妙であるが、小浜4丁目8では宿場の内でもあり、その東、高速道の東の三叉路
 N34.80819 E135.36690
 辺りとすれば、北(中山)から来る道に正対し右(西)の案内が相応しいと思う。)
(上記地点より50m東の四辻(現「小濱村道路元標」あり)も候補となるが、
 右方面の記述しかないので、上記地点とした。)
(『たからづかの道標』では9、「和田源右衛門光信がその兄喜三郎の菩提を弔うため造立」とある。)

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【1.旧和田邸を西から望む 【2.資料館の「小浜の町並」北が下】 【3.宝塚東部の道標(明治44年)】
 右白壁の内に屋敷、西側に庭】

写真dimg1022
【4.元位置?を北から南へ望む
 正面突き当りに立っていたか、
 後ろ緑線の入った壁は中国自動車道
 右に地下道を潜ると、小濱宿東口】

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