5.川西市栄町25の道標

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川西市栄町25−1 南北の県道13号と東西の国道176号が交差する四辻の北西部に南を正面に建つ
尖頭形角柱 118x南面24x24.5p(頂高6p) 
N34.82606 E135.41334


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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│多田御社道             │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│すぐ みの於 ミち         │
└――――――――――――――――――┘
(「於」は「お」の変体仮名))

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│すぐ 中山道            │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│             紺屋   │
│寛政元己酉七月建之榮根村  半兵衛 │
│              五郎兵衛│
└――――――――――――――――――┘


(寛政元七月1日なら1789年8月21日金曜日となる。)
(『川西の歴史散歩』昭和60年刊では6)
(同書に次のような記述がある。少し長いが抜粋引用する。
 「順礼橋(呉服橋)は文化十二年に完成。それ以前は七百m下流の下加茂付近に仮橋程度のものが
 あったことが慶長や元禄年間の国絵図に描かれている。この道標は巡礼橋が完成前の寛政元年に建立。
 もともとこの街道沿いに建っていたのなら、巡礼橋と同じ位置に仮橋が架けられていたと考えられる。」
 としているが、デジタルアーカイブ「元禄国絵図」には仮橋の記述は見えず、下加茂から北神田への道と
 小戸から池田への道が描かれている。よって、仮橋の有無に関係なく、又それが呉服橋、中橋、絹延橋か
 詮索することも必要なく、この道標は現在地にあっても問題なさそうである。
  唯、明治の地図を見る限り、この地に辻どころか道すら存在していないので、移設されたに違いなく、
 その地を想像するに、前述の700m南の道では遠すぎ、西80mの旧道が通っていた四辻が相応しく
N34.825925 E135.412437
 辺り(現、アステ川西駐車場出入り口)としたい。
  南北の道は、多田道、東西は巡礼道に該当するであろう。)
(同書、北面に「七月建立」とあるは、「七月建之」の誤り。)
(尚、『かわにしふる里散歩』3−道標をたずねて−(昭和58年刊?)に、現在の交差点より一つ西の
 四辻の北西に建っている地図があり、それが上記の位置である。が、「昭和十年ころ、現在より西から
 移設されたようだ。」とあり、それが正しければ、更に西の、現在のJR川西池田駅北側の三差路辺り
 となってしまい、「多田御社道」が正面となる、南からの道が無い辻では相応しくないでしょう。
 一応、参考に挙げておく。)

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【1.交差点南西より北東を望む 【2.道標を東に望む
 中央信号の下に道標  奥(東)池田方面へ
 左右(西東)国道176号】  右(南)伊丹方面】

写真cimg7313
【3.川西南部の道標】
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