45.西宮市門戸岡田町10の道標

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西宮市門戸岡田町10 南北の道(やくじんさん筋の一本東)から、西の門戸厄神への道が分かれる
T字路の北西部に東を正面に建つ
尖頭形角柱 75x東面18x16p(頂高4p)上から44pで折損
N34.758836 E135.35469


写真cimg2372

写真cimg2373

写真cimg2374

東面
┌─―――――――――――――――┐
│すぐ厄神(道)         │
└――――――――――――――――┘

他の面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、24)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、46。東面( )部は同書より。
 同書に、「門戸厄神駅から岡田山へ突き当たる真っすぐな細い田中の道」の様に書かれている。
 現在では東はマンションで道はなく、三叉路となっている。明治42年測図の地図にも東西の道はなく、南北
 の水路のみが描かれており、有っても、畦道程度と思われるが、厄神参拝にはよく使われたのかも知れない。
 尚、昭和22年発行の地図には、この東西の道が見えるため、明治42年以降の道標かもしれない。)
(下に、北横にある案内板を載せるが、そこにある「西国街道から三丁」の記述が(最短、直線距離で5丁もあ
 る)誤記でないとするならば、「迂曲して不便な道…」はおそらく、南東、下大市から神呪村へ向かう道から、
 西に分岐する地点(現、門戸東町6−10) から、門戸村の村中を抜け、厄神に至る道筋を指し、この道標の
 ある道筋のことではないと思われる。
  この道は今でも、解り難く、私も行く毎に迷うことが多い。)
(現在では、ここから厄神さんへは、北へ向かう方が距離は短いので、建立当時道が有ったのなら(無ければ道標
 は不要)、90度、時計回りに回転させる必要があると思うが、理由があって西に迂回させたものか。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 奥(北)厄神さん筋へ  奥(西)厄神さん筋へ  左(東)マンション
 左も厄神さん筋へ】  右が厄神に近い】  右、厄神さん筋へ】

写真dimg4792
【4.北横の案内板
 「不便な道…」は
 此処と無関係か】

写真dimg3829
【5.西宮南部の道標】


厄神さんへの道標説明板
道標北側に建つ


 厄神さんへの道標

この道標では「すく」は真っすぐの意で距離を
示すものではない。道標から艮(北東)の方角に
厄神明王の祀られている東光寺がある。
明治十六年(一八八三)頃の門戸村地誌記載の字名に
よるとこのあたりは堤マタゲか墓俣にあたる。
門戸厄神は宇垣ノ内にあると記されている。
ここから南の方にさがると門戸橋に出る。
門戸橋は西国街道に添って流れる高倉川に
架かる。明治二十二年(一八八九)までは西国街道より
厄神さんまでの三丁は迂曲して不便な道で
あったというから、このあたりを通っていた
のでろう。その様な中でこの道標は参詣者の
為に大きな役割を果たしたと思われる。
          甲東文化財保存会


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