西宮市門戸岡田町10 南北の道(やくじんさん筋の一本東)から、西の門戸厄神への道が分かれる
T字路の北西部に東を正面に建つ
尖頭形角柱 75x東面18x16p(頂高4p)上から44pで折損
N34.758836 E135.35469



東面
┌─―――――――――――――――┐
│すぐ厄神(道) │
└――――――――――――――――┘
他の面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし) │
└――――――――――――――――┘
(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、24)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、46。東面( )部は同書より。
同書に、「門戸厄神駅から岡田山へ突き当たる真っすぐな細い田中の道」の様に書かれている。
現在では東はマンションで道はなく、三叉路となっている。明治42年測図の地図にも東西の道はなく、南北
の水路のみが描かれており、有っても、畦道程度と思われるが、厄神参拝にはよく使われたのかも知れない。
尚、昭和22年発行の地図には、この東西の道が見えるため、明治42年以降の道標かもしれない。)
(下に、北横にある案内板を載せるが、そこにある「西国街道から三丁」の記述が(最短、直線距離で5丁もあ
る)誤記でないとするならば、「迂曲して不便な道…」はおそらく、南東、下大市から神呪村へ向かう道から、
西に分岐する地点(現、門戸東町6−10) から、門戸村の村中を抜け、厄神に至る道筋を指し、この道標の
ある道筋のことではないと思われる。
この道は今でも、解り難く、私も行く毎に迷うことが多い。)
(現在では、ここから厄神さんへは、北へ向かう方が距離は短いので、建立当時道が有ったのなら(無ければ道標
は不要)、90度、時計回りに回転させる必要があると思うが、理由があって西に迂回させたものか。)
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【1.道標を北に望む |
【2.道標を西に望む |
【3.道標を南に望む |
奥(北)厄神さん筋へ |
奥(西)厄神さん筋へ |
左(東)マンション |
左も厄神さん筋へ】 |
右が厄神に近い】 |
右、厄神さん筋へ】 |
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【4.北横の案内板 |
「不便な道…」は |
此処と無関係か】 |
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【5.西宮南部の道標】 |
厄神さんへの道標説明板
道標北側に建つ
厄神さんへの道標
この道標では「すく」は真っすぐの意で距離を
示すものではない。道標から艮(北東)の方角に
厄神明王の祀られている東光寺がある。
明治十六年(一八八三)頃の門戸村地誌記載の字名に
よるとこのあたりは堤マタゲか墓俣にあたる。
門戸厄神は宇垣ノ内にあると記されている。
ここから南の方にさがると門戸橋に出る。
門戸橋は西国街道に添って流れる高倉川に
架かる。明治二十二年(一八八九)までは西国街道より
厄神さんまでの三丁は迂曲して不便な道で
あったというから、このあたりを通っていた
のでろう。その様な中でこの道標は参詣者の
為に大きな役割を果たしたと思われる。
甲東文化財保存会
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