15.西宮市上之町33の道標(不明)

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西宮市上之町33 2012年時点では、西宮市上之町34の、厄神道が東から北へ折れる三叉路(逆T字)
の北西部に建っていたらしい。
2015年現在、その北東60mの私有地に寝かされていたが、2016年8月、同私有地内の10m北へ移動。
(更に前には、上之町20にあったとする資料もあり、何れも移設されてきたものと思われる)
尖頭型角柱 96x20x20p(頂高5p)(基部16pを含む)
N34.75485 E135.37013


写真cimg2383

写真cimg2384

写真cimg2385

右面
┌─――――――――――――――――┐
│左尼嵜大阪道           │
└―――――――――――――――――┘

上面(天面)
┌─――――――――――――――――┐
│右厄神明王道           │
└―――――――――――――――――┘

左面
┌─――――――――――――――――┐
│ 願主尼嵜            │
│   信者中           │
└―――――――――――――――――┘

他の面
┌─――――――――――――――――┐
│(写真無)            │
└―――――――――――――――――┘


(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、16)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、53)
(同書には、大阪道の「大」より下が埋まった写真が掲載されており、「XX宅軒下」とあるが、現在で
 は、掘り起こされ寝かされた状態である為、全て見えており、上部から43pに埋められていた跡が残っ
 ている。)
(又同書に、守部の渡しを渡り北西にとって、上新田(当所)を通り、下大市から門戸厄神の道としてお
 り、これに間違いはない。
  北から南へ突き当たる、三差路の北西部に建っている事は図示されているが、道標の向きに関しては、
 表「左尼嵜大」、右…、左(裏の誤りであろう)…、としており、どの方向を指していたかは分からな
 いが、表(私の表現では上面)が、北面して建っておれば、つじつまが合う。)
(元位置の一つ、上に挙げた、西宮市上之町34は
N34.754496 E135.369626
 辺りと思われる。此処ならば明治の地図に見える旧道と一致するが、上之町20では道が見当たらない。)

写真dimg4002 写真dimg4005 写真dimg4009 写真dimg3994
【1.植木左の道標を北に望む 【2.寝かされた道標を 【3.寝かされた道標を 【4.道標元位置を東に望む
 南側民家の私有地か  北に望む  南に望む  左カーポートの軒下辺りか
 道路からは奥まっている】  右(上)が東方向を向く】  基部(右)が西を向く】  奥から左(北)へ厄神道】

写真dimg3829
【5.西宮南部の道標】

2024年9月【追記】
 遺失したと思われます。旧位置(上之町33の私有地内)には家屋が建ち近辺を探したが見つからず。
 何処かに移設されている事を願うばかりです。

写真dimg4003 写真kimg2918 写真kimg2912
【6.2017年の写真 【7.残された木から北を望む 【8.道標元位置を西に望む
 道標を南に望む  上記2.と同じ向き  正面住宅辺りに有った
 後ろの竹藪が整備され  元位置は住宅になっており  右側の白柵が北の端に
 木だけが残されたか】  庭石を含め無くなっている】  なっていたと思う】
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