30.西宮市郷土資料館の道標

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西宮市川添町15−26 資料館駐車場東に建つ
尖頭型角柱 114x西面24.5x24p(頂高5p)
N34.73079 E135.33047


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西面
┌─――――――――――――――――┐
│左 中山 二里          │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│         三       │
│右 西宮      十      │
│           二     │
│            丁    │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│大坂五り半    厄神      │
│        門戸  如意   │
│伊丹二り    (十)八丁    │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│六(軒)十四丁 (兵庫)     │
│二十二社之内   五り半     │
│廣田社十八丁           │
└―――――――――――――――――┘


(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、bェなく、「西宮市立郷土資料館」)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、18。北、東面( )部は同書より。
 同書では、はり半(西宮市甲陽園東山町の高級料亭であったらしい)に置かれていたとあるが、更にもと所在地は
 不明とある。
 又、同書では、南面が「二十二丁」となっている)
(二十二社(にじゅうにしゃ)は、神社の社格の一つ、廣田神社も含まれている。)
(北面、東面は彫りが浅く且つ、方向もなく、追刻された様に思える、又西面、南面の距離についても同様か。)
(門戸厄神如意とは、思うがままに道があることを表しているのか?、先の方がなだらかに曲がっている道を示すの
 か。
 前述の書では、施主の名前としている。)
(彫りの深い南面と西面を頼りに、明治の地図で見ると、現在の西宮市甲陽園東山町7−34辺りに三叉路があるの
 みで
N34.765547 E135.334878
 此処ならば、南面を南西面に向けて建てると、方向と距離が一致する。旧はり半のすぐ南西地点にもあたり、元位
 置としたい。)
「69.広田神社丁石一覧」は、こちらを参照下さい。)

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【1.郷土資料館を東に望む 【2.駐車場を南東に望む 【3.道標を北に望む
 道標はこの建物の東の  中央の陰になった木の  奥の白い説明板は
 駐車場の東壁沿い】  下辺りに建つ】  「剣谷2号噴の石材」】

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【4.道標北面
 右(西面)の彫りの深さ
 が際立って見える】

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【5.西宮南部の道標】 【6.広田神社丁石一覧】
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