6.宝塚市米谷1−4の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
宝塚市米谷1丁目8 旧和田邸(市立歴史民俗資料館)内に移管された。
2016年11月現在、旧和田邸の南庭に寝かされている。
尖頭形角柱 292x41x41p(頂高20p)(基礎部46p含まず)
N34.80969 E135.36194


写真cimg2448

写真cimg2447

写真cimg2449

写真cimg2450

南面
┌─――――――――――――――┐
│延喜             │
│   賣布神社        │
│式内             │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│    従是北八丁      │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│  明治二十八年       │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘







(元位置は、宝塚市米谷1−4 
 東西の有馬街道から、北に参詣道が別れる三叉路の北西部に南を正面に建つていた
N34.810269 E135.36013
 辺り。)
(道標とするより、丁石が相応しいか。)
(『たからづかの道標』では10、「売布神社参道へ向かう近道の分岐点に立つ」とあり、
 近道でないのは、50m東の道を言うのか。この北50mに大きな常夜燈もあり主たる道であろう。
 又、玉垣で囲われている為、単なる丁石ではなく、社標とすべきか。)
(距離8丁は、丁度符合している。)
(明治28年は1895年。)

写真dimg1069 写真dimg1352 写真dimg0759
【1.旧和田邸を西から望む 【2.有馬道から北を望む 【3.宝塚東部の道標(明治44年)】
 右白壁の内に屋敷、西側に庭】  左手前の赤いコーン
 
 の辺りに建っていた】

写真dimg4524 写真cimg2445
【4.旧和田邸内の道標 【5.有馬道から北を望む
 (2017年4月時点)  2015年1月の様子】
 右側に寝かされている】  
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ