宝塚市中山寺2丁目11 中山寺信徒会館の南に南を正面に建つ(常夜燈、中山寺への町石)
常夜燈竿部に道標 全高240p 竿部74x南面55x54.5p 上台石幅78x奥78p 中台石32x98x97.5p 下台石30x121x121p
N34.820825 E135.367384




竿部
南面
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│南無阿弥陀仏□□ │
└―――――――――――――――┘
西面
┌─――――――――――――――┐
│常夜燈 │
└―――――――――――――――┘
北面
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│右大坂 │
│左中山寺 │
│ 八丁 │
└―――――――――――――――┘
東面
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│安政四年丁巳六月建之 │
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(安政四年六月一日なら、西暦1857年7月21日火曜日となる。)

基壇部二段目
南面
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│施主 │
│備中足守 │
│松浦榮左エ門 │
│大坂蔵所 │
│秋山孫左エ門 │
│泉州堺 │
│具足屋市兵衛 │
│同 │
│具足屋喜助 │
│同 │
│小間物屋徳兵衛│
│大坂 │
│八荷屋幸次郎 │
│同 │
│八荷屋傳兵衛 │
└―――――――┘
基壇部一段目
南面
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│小濱世話人 │
│山都太助 │
│油屋仁兵衛 │
│加茂屋□兵衛 │
│大黒屋安兵衛 │
│野間屋佐兵衛 │
│壁屋仁兵衛 │
│願人 │
│ 加茂屋□□ │
│ 壁屋吉□ │
└―――――――┘

基壇部一段目
北面
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│□石屋村 │
│ 小□□□ │
└―――――――┘
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)61では、
「もと有馬街道小浜の東口、谷池の畔にあったものを現在地へ移した」とあるが
池の北東端から中山寺山門間でさえ、直線距離で1.2q(11丁)以上あり、八丁では合わない。
その場所へも移設されていたのであろう。小浜方面で明治の地図より距離が該当する地点として、
蕨野の西(現在の三笠町13、天王寺橋西詰)の三叉路辺りが、本堂から880m(8丁)となり、
北西に面して立っていたなら、「右大坂」は南西方向に進み、小浜の東で有馬道と合流し大阪方面へ、
と一致し、「左中山」は小浜からの西宮街道を北に進み、中山寺に至ることに符合する。
因みに、案内のない東方向へ進めば、天王寺川に架かる天王寺橋を渡り、北東、中筋の集落へと続く。
N34.814712 E135.368910
辺りとなるか。現在では複雑な形の交差点となっている。
尚、大きな新しい「天王寺橋」は上記の南300mにある。
蕨野の字は現在の今里町と思われる。)
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【1.信徒館南の展望台 |
【2.絵馬堂前より南東を望む |
南東端から南を望む |
左側に小さく常夜燈が見える】 |
北面竿部に丁数が彫 |
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られている】 |
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【3.元位置かも知れない地点 |
【4.天王寺橋西詰より北を望む |
中山−小浜(西宮道?)上から |
正面は「光圓寺」とある |
南を望む。複雑な交差点です。 |
推定位置は、写真の左枠外】 |
右奥(南西)は小浜へ、 |
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ロータリーの向を左(東)は中筋へ |
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写真手前(北)は中山寺へ |
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道標推定位置は、右自転車に |
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乗る人の左、民家の出窓の下。】 |
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【5.宝塚東部の道標(明治44年)】 |
【追加 2023年9月】
『今昔マップ on the web』明治の地図で元位置(蕨野の西)辺りを見る。
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