23.宝塚市中山寺2信徒館南の常夜燈道標

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宝塚市中山寺2丁目11 中山寺信徒会館の南に南を正面に建つ(常夜燈、中山寺への町石)
常夜燈竿部に道標 全高240p 竿部74x南面55x54.5p 上台石幅78x奥78p 中台石32x98x97.5p 下台石30x121x121p
N34.820825 E135.367384


写真cimg2501

写真cimg2499

写真cimg2498

写真cimg2503

竿部
南面
┌─――――――――――――――┐
│南無阿弥陀仏□□       │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│常夜燈            │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│右大坂            │
│左中山寺           │
│   八丁          │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│安政四年丁巳六月建之     │
└―――――――――――――――┘


(安政四年六月一日なら、西暦1857年7月21日火曜日となる。)


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基壇部二段目
南面
┌─――――――┐
│施主     │
│備中足守   │
│松浦榮左エ門 │
│大坂蔵所   │
│秋山孫左エ門 │
│泉州堺    │
│具足屋市兵衛 │
│同      │
│具足屋喜助  │
│同      │
│小間物屋徳兵衛│
│大坂     │
│八荷屋幸次郎 │
│同      │
│八荷屋傳兵衛 │
└―――――――┘

基壇部一段目
南面
┌─――――――┐
│小濱世話人  │
│山都太助   │
│油屋仁兵衛  │
│加茂屋□兵衛 │
│大黒屋安兵衛 │
│野間屋佐兵衛 │
│壁屋仁兵衛  │
│願人     │
│ 加茂屋□□ │
│ 壁屋吉□  │
└―――――――┘

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基壇部一段目
北面
┌─――――――┐
│□石屋村   │
│ 小□□□  │
└―――――――┘


(『たからづかの道標』(昭和61年刊)61では、
 「もと有馬街道小浜の東口、谷池の畔にあったものを現在地へ移した」とあるが
 池の北東端から中山寺山門間でさえ、直線距離で1.2q(11丁)以上あり、八丁では合わない。
 その場所へも移設されていたのであろう。小浜方面で明治の地図より距離が該当する地点として、
 蕨野の西(現在の三笠町13、天王寺橋西詰)の三叉路辺りが、本堂から880m(8丁)となり、
 北西に面して立っていたなら、「右大坂」は南西方向に進み、小浜の東で有馬道と合流し大阪方面へ、
 と一致し、「左中山」は小浜からの西宮街道を北に進み、中山寺に至ることに符合する。
 因みに、案内のない東方向へ進めば、天王寺川に架かる天王寺橋を渡り、北東、中筋の集落へと続く。
N34.814712 E135.368910
 辺りとなるか。現在では複雑な形の交差点となっている。
 尚、大きな新しい「天王寺橋」は上記の南300mにある。
 蕨野の字は現在の今里町と思われる。)

写真cimg2497 写真dimg1496
【1.信徒館南の展望台 【2.絵馬堂前より南東を望む
 南東端から南を望む  左側に小さく常夜燈が見える】
 北面竿部に丁数が彫
 られている】

写真dimg1509 写真dimg1505
【3.元位置かも知れない地点 【4.天王寺橋西詰より北を望む
 中山−小浜(西宮道?)上から  正面は「光圓寺」とある
 南を望む。複雑な交差点です。  推定位置は、写真の左枠外】
 右奥(南西)は小浜へ、
 ロータリーの向を左(東)は中筋へ
 写真手前(北)は中山寺へ
 道標推定位置は、右自転車に
 乗る人の左、民家の出窓の下。】

写真dimg0759
【5.宝塚東部の道標(明治44年)】

 【追加 2023年9月】
 『今昔マップ on the web』明治の地図で元位置(蕨野の西)辺りを見る。
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