36.宝塚市平井2の(埋没)道標

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宝塚市平井2丁目3−1 東西の巡礼道より、北西に最明寺への道が分岐する北西部、民家駐車場に埋没
(35.宝塚市平井2の道標の2m南に埋まっているものとした。)
(平型角柱 98x20x14p) 2016/5/5測定では、蒲鉾型角柱? 75x20p厚さ不明
N34.8230563 E135.3917779


写真cimg2531

その他面(現在の天面)
┌─――――――――――――――┐
│(不明)           │
└―――――――――――――――┘

右面(現在の東面か底面)
┌─――――――――――――――┐
│(梵字 貞享三丙寅年)    │
└―――――――――――――――┘

正面(現在の底面か西面)
┌─――――――――――――――┐
│(中山寺是より□八丁)    │
└―――――――――――――――┘


(( )部は『たからづかの道標』(昭和61年刊)38より、
 又、「昭和46年7月に確認された。年号の上部に…梵字…」とあるが、確認の意味が不明。
 正面を「中山寺道是也□八丁」としている。
 その他、『近畿地方の歴史の道9』では、「中山道是也□八丁」等と色々あり。)
(1.過去に有った//www.geocities.jp/michishirube1010/・・・の写真や、
 2.//naga500.cocolog−nifty.com/blog/2014/08/post−0099.htmlを見ることが出来るが、
 石の形状等が異なっており、写真が誤っている可能性あり、
 筆者の見た物は、2.の写真に相当すると思うが、これがその道標かは不明である。)
(現在の場所から、中山寺山門前までの距離は2.3q(21丁)あり、□八に近いものは
 「十」であろうか。)
(貞享三丙寅年とすると、西暦1686年となり、かなり古い時代のものとなる、是非掘出して
 欲しいものである。
 尚、現在最も古いとされている「宝塚市安倉南4姥ヶ茶屋の道標」は、寛文8年(1668年)
 とされ、その18年後の建立となり、市内で第四位あたりか。)

写真dimg2094 写真dimg2089
【1.大坂御瀧講の道標の 【2.宝塚市平井2の道標
 手前2mに埋れた道標?  奥(北西)最明寺滝へ
 他の資料などから  左(西)中山寺へ】
 手前が上部となるか?】

写真dimg0759
【3.宝塚東部の道標(明治44年)】
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