56.茨木市水尾1の道標

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茨木市水尾1−5 水尾公園南西部の植え込み、四辻の北東部に南西を正面に建つ(南北は枝切街道)
常夜燈 竿のみ173x30x30p
N34.807051 E135.572382


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石灯籠型竿部
南西面
┌―――――――――――――――――┐
│      右 みしま江     │
│妙見山献燈            │
│      すぐ妙見道      │
└―――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――┐
│        水尾村      │
│一年始有百歳人無 施主平尾兼助  │
└―――――――――――――――――┘

南東面
┌―――――――――――――――――┐
│明治九年第七月建之        │
└―――――――――――――――――┘

北東面
┌―――――――――――――――――┐
│なし               │
└―――――――――――――――――┘


(明治九年は西暦1876年となる。)
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では79)
(同書に、「みしま江は高槻市の淀川沿いで、川を下る舟つき場である。」とあり、明治の地図で確認すると、現在の
 高槻市三島江3丁目の東、淀川河川敷辺りにその名が見え、ここを指すものであろう。この地点からは直線での道は
 繋がっていないが、現府道138に出てからは道なりに東へ進めば、安威川を越え目垣からは馬場街道として、三箇牧
 村三島江の淀川に達していることが分る。
  一方、「すぐ妙見道」が示す道は、茨木町に入り、その後どの経路を採るかは、判然としないが、田中から十日市
 を進むものであろう。
 現在は公園となっているが、当時は池であったと思われ、少なくとも移設されており、「すぐ妙見道」が示す様に、
 この面が南面していたと思われる。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南西に望む
 奥(北)妙見へ  右(南)沢良宜へ  右、阪急茨木駅へ
 右、三島江へ】  左、大手町へ】  左手前(東)三島江へ】

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【4.燈籠を南東に望む 【5.竿部南西面下部 【6.竿部南東面拡大
 良く分らない文言  「右 みしま江」  「明治九年」
 と施主が見える】  「すぐ妙見道」】  と読める】

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【7.茨木南部の道標】
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