60.茨木市春日3の道標

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茨木市春日3−11−39 南北の道に東西の道が交わる四つ辻の南西部に北東を正面に建つ
(南北の道は茨木街道(西国街道の道祖本〜枚方街道の高槻市大塚)とされる。)
山形角柱(背面やや舟形) 59x北面21x19p(頂高7p)(東面幅13p)
N34.822417 E135.564365


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北東面
┌――――――――――――┐
│すぐかちをう寺     │
└――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では55)
(同書に「茨木街道が、…亀岡街道と分かれて東へ行き、…昔は倍賀村と呼んだ」とある。
 「すぐ」が西を指すか、北を示すかであるが、西上穂積の集落を抜ける道を採ると、距離も長く複雑に曲がる必要
 があり、北を指すものであろう。
 明治の地図で、この地点から北に進み、倍賀春日神社に当たり、西に廻り込み、池の北西で西に折れると、南北の
 亀岡街道に出て、北進すれば、勝尾寺方面へ近い事が確認できる。
 この道を『わがまち茨木』(街道編)では茨木街道としている。
  依って、道標の向きは、現在の北東面が、南面して建っていたと思われる。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を東に望む
 奥、JR茨木駅へ  奥(西)上穂積へ  左右が茨木街道
 右(西)上穂積へ】  旧道の為か曲折多】  左(北)春日神社へ】

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【4.道標北東面拡大 【5.道標上部を望む
 「すぐかちをう寺」  全体の感じは
 写真では見えない】  仕上げが粗いか】

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【6.茨木南部の道標】
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