24.茨木市総持寺1の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
茨木市総持寺1丁目6−1 総持寺山門への階段登り口の西へ10mに南を正面に建つ
尖頭型角柱 125x24x24.5p(頂高4p)
N34.828831 E135.58109


写真cimg2707

写真eimg5240

写真cimg2709

写真cimg2710

南面
┌――――――――――――┐
│右かちをうじ道     │
│    是より二り半  │
└――――――――――――┘
(よりは変体仮名一字)

東面
┌――――――――――――┐
│天保十五辰年三月日   │
└――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――┐
│      石屋与左衛門│
│願主 大坂       │
│      菱屋要蔵  │
└――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――┐
│なし          │
└――――――――――――┘


(天保十五年(甲辰)三月1日とすると、西暦1844年4月18日木曜日となる)
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では70)
(同書に、元位置は不明とあり「総持寺から勝尾寺へ行く道のどこかにあったのだろう。」としている。
 明治41年測図の地図より、勝尾寺ー現府道4号ー霊園東から谷筋(現廃道)ー西田橋ー粟生間谷西ー
 法泉寺ー粟生間谷東ー上河原ー宿庄ー旧西国街道ー宿川原町ー道祖本街道ー郡山ー郡ー茨木川ー
 五日市ー三咲町辺りで9.82km(2里半)となり、総持寺北西角では10.8km(2.7里)となる。)
(総持寺は、国立国会図書館デジタルコレクション「摂津名所図会[6]」コマ28〜30「補陀洛山総持寺」によると、
 現在とは本堂の位置など多少は異なっており、当然道標等描かれていなかったが、一つのヒントとして、
 参詣者は多く裏門を利用した節があり、巡礼道の距離の観点では、裏門からとしても良いかもしれない。
 もし、西国三十三ヶ所を逆打ちする場合、勝尾寺を目指す起点として、裏門に入る道に、現南面を、北面
 させて置くならば、当然、辻に立つ必要も無く、他方向の案内も要らなくなる。
 又、北西角から裏門迄の80mを加算し距離は2.8里となるが、これは道標の距離表示の誤差内として
 許されるであろう。
  即ち、北門北側に北面、又は北門正面右手に東面して、建っていたとするのは、如何でしょうか。)

写真eimg5235 写真eimg5236 写真eimg5238
【1.道標を北西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標南面拡大
 南の道から一段上  後は山門  後はトイレの建物
 画面中央に当道標】  右奥、駐車場へ】  と山門への坂道】

写真eimg5245 写真eimg5246 写真eimg5243
【4.道標南面拡大 【5.道標東面上部 【6.道標西面願主部
 左側小さい字で  「天保十五辰年」  「石屋与左衛門」
 「是より二里半」】  1844年と読める】  「菱屋要蔵」】

写真eimg4675
【7.茨木南部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ