22.茨木市西河原1の道標

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茨木市西河原1−1−11 東西の道祖本街道に南からの道が突き当たる南西部に北を正面に建つ
(西への道はここから少し北西となり、旧河川跡の様な地形を越えて現安威川の堤防に出る。)
丸形角柱 84x北面18x19.5p(頂高4p)(頭頂部少し凹む、盃状穴か)
N34.829929 E135.573632


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北面
┌――――――――――――┐
│左 そうじ寺      │
└――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――┐
│右 加ちを寺      │
└――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――┐
│なし          │
└――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――┐
│なし          │
└――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では72)
(同書に総持寺の説明があり、「江戸時代には西国三十三番霊場の中の二十二番札所として巡礼の参拝が
 多かった。それは道標の面からもわかる。」として、道標の目的も示している。
 当辻が三叉路であるにも関わらず、総持寺と、勝尾寺だけを案内していることは、巡礼者用を如実に示
 すものとして、問題はないが、南へはどう続くのであろうか。
  南への道は集落を抜け、安威川を渡り、田中、茨木に至る道で、生活道路としては使うが、巡礼者は
 使用する機会が少ないと思われる。よって案内の必要は無かったものであろう。)
(明治の地図では、安威川はこの道標のすぐ北を流れており、現在は公園となっているが、旧橋は今も架
 っており(西大河原橋とある)、当時の道筋が残っているものと思われる。それによると、南北の道に、
 東、総持寺からの道が突当るT字路であったと想像されるが、現在の場所で、今の向きに立っていても
 不都合はない。ただ、道の拡張に伴い、少し西に移動させられた雰囲気はある。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(東)総持寺へ  奥、集落の中へ  奥、現安威川堤防へ
 左、公園の入口】  左(東)総持寺へ】  右、ゲート後ろ旧橋か】

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【4.道標を西に望む 【5.道標北面拡大 【6.道標頂部
 右(北)勝尾寺へ  後の民家塀より  単なるキズか
 奥は行止り】  少し西に後退か】  盃状穴か不明】

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【7.茨木南部の道標】
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