8.池田市建石町6の地蔵道標

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池田市建石町6−14、市立池田中学校南西角を西に10m三叉路突き当たりの地蔵堂内北端に東を正面に建つ
地蔵光背部 左上42右上35x28x15p 上部欠損
N34.8249218 E135.4305691


写真cimg3552

写真dimg3425

東面
┌────――――――――――――――┐
│   右 中山           │
│ (地蔵像)            │
│   安誉栄心(施主化〇)     │
└――─―――――――――――――――┘

他の面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(地蔵は固定されていないが、とりあえず東面とした。)
(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では8)
(( )部は、同書より、「本来は能勢街道沿いにあって、中山寺の方向を指し示していたものと考えられる。」
 とあり、根拠は書かれていない。
  明治44年発行の地図で見ると、中学校の部分が師範学校となっており、明治31年のものには記載がない、
 道の記述も無いが、学校建築の折(明治41年か)に、近辺の地蔵等が集められ、校庭の西側に置かれたものと
 想像する。旧能勢道は、今も学校敷地の南に有り、建設の影響は無かったとし、街道上にあったのであれば、
 移動することは無かったと思う。依って、元は学校敷地内に有ったのではないか。
 ただし、学校建設では移動されなくとも、能勢道整備の為、後日、此処へ移設の可能性も、多いにある。)
(この地点より己型に南へ180mで明星大神宮前の道標に出会う。)

写真dimg3417 写真cimg3550 写真dimg3421
【1.地蔵堂を北より望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北西に望む
 左(東)中学校南西角へ  右端の地蔵が当道標  右突当りを西池田文庫へ】
 奥右は人一人通行可】  固定せず置くのみ】

写真dimg2709
【4.池田南部の道標】
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