6.池田市綾羽1の道標

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池田市綾羽1−5 西から来た道が北に分岐する三叉路の北東部に、西を正面に建つ
(府道9号線池田城山町交差点南40mを10m西入ル)
尖頭形角柱 93x25x23p
N34.826671 E135.426877


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西面
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│   みのを山           │
│左 京     道         │
│   かち尾寺           │
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北面
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│右 中山              │
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南面
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│天保癸巳三月            │
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東面
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│(なし)              │
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(天保癸巳は天保四年、三月1日なら1833年4月20日土曜日となる)
(2015年7月12日には現地に建っていたが、2016年4月12日には行方不明になりました。)
(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では12)
(同書では、北方向を京・箕面、西方向を中山方面とし、北へは、杉ヶ谷川の南、城山の北の
 谷を上がって中山道に合流する。としており、同書中に「箕面勝尾寺道」(私資料内は「巡
 礼道」で統一)としている道を中山道とも表現していると思われるが、合流するのではなく
 この道標の道こそ「中山道」であると思う。
  明治の地図でみると、五月丘小学校の一本西の道から南下し、五月丘二丁目2の三差路を
 西折れし、道なりにクランク状に進み、城山の北を下ると、池田城山町交差点に出、今は府
 道9号で分断されてしまったが、旧道であろう細道を40m南下すると、この道標地点となる。
 此処を西へ曲がり、道なりに、西光寺の南を回り込めば、能勢道と交差し、呉服橋を渡り、
 川西、中山寺方面へ、となっている。)

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【1.道標があった地点を北東に望む 【2.2015年7月12日の写真
 右下ブロックの端辺りにあった  道標を東に望む
 黄色いガス管埋設標識が残る】  奥(東)は池田城跡へ】

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【3.池田南部の道標】
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