9.豊中市服部西町3豊島小学校道標

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豊中市服部西町3丁目6―5 豊島小学校校内北東部植込みの中
以下、高さx南面x西面の順、
全体212x73x74p
(宝珠28x18x18p、笠石20x30x53p、火袋30x33x29p火袋台13x46x44p、
 竿76x【下部】35x32【上部】20x26p、
 台石上30x56x57p、台石下15x73x74p)
N34.76260 E135.4713


写真cimg3982

写真cimg3976

写真cimg3973

写真cimg3974

竿部              台座部
西面              西面
                ┌─―――――┐
                │寄進輩   │
┌─―――――――――――――┐│ 家    │
│(左) 大坂        ││ 内    │
└――――――――――――――┘│ 安    │
                │ 全    │
                └――――――┘
(台座部、寄進の次は「北」に「車」とあり「輩」の俗字)

北面              北面
┌─―――――――――――――┐┌─―――――┐
│    右 京茨木     ││世話人   │
│能勢妙見宮常夜燈      ││ 原田村  │
│    左 池田の(勢)  ││  弥七  │
└――――――――――――――┘└――――――┘

南面              南面
                ┌─―――――┐
┌─―――――――――――――┐│常燈□   │
│文政四年辛巳年六月□    ││  寄進  │
└――――――――――――――┘│辻治兵衛  │
                └――――――┘

東面              東面
┌─―――――――――――――┐┌─―――――┐
│右 大           ││(なし)  │
└――――――――――――――┘└――――――┘


(文政四年六月1日なら1821年6月30日土曜日となる。)
(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B3_60)
(同書に、「もとは服部南町1丁目付近、ちょうど京や茨木方面に向かう旧吹田街道と、池田方面
 に向かう能勢街道が分岐する所にあったそうです。」とあり、今の住所等は明記されていないが、
 明治の地図で見当を付けると、服部南町1丁目7、現国道176号から西へ10m入った三叉路
N34.760868 E135.476528
 辺りではなかろうか。
 此処に、現北面を南面(180度回転)させて置くと案内が整合する。
 尚、明治の地図では、当時は三叉路ではなく変則の四辻となっており、北の服部天神社への参道
 と思われる道が、四辻の東北部から直進している様に描かれており、常夜燈を建てるに相応しい
 雰囲気ではなっかたかと想像させる。)
(前述の書には、西面の大坂を、こざと篇の「大阪」としているが、よく見ると、一画目の横線が
 深く彫られ、二画目の縦線に続く左上への連続線部が左上に続き、これが「こざと」に見える原
 因かと思われる、又三画目の下の横棒が、左に出ていないため更にその様に見えるが、土篇の場
 合、連続して書くと、「七」の様に書くことが多い。よって、「坂」とした。
 又、この字の部分は、「大」の部分も含め、左側の上層が剥がれ落ちており、筆圧の大きい部分
 のみ残っていると思われ、こざと篇にした場合の残るであろう部分と一致しないことも理由の一
 つとした。)
(竿部の石質のみ砂岩と思われ、風化が激しい。その他の部位は花崗岩と思われるが、制作年代は
 宝珠部や、笠部、火袋部、台石等、全て異なっている印象を受ける。)

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【1.豊島小学校を南に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を東に望む 【4.道標を北に望む
 道標はフェンスの向う  中央松の木の右に  学校北東角の築山の  奥にフェンスが見え
 木に隠れ見えない】  僅かに見える】  竹塀の前に建つ】  その北は道路】

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【5.竿部西面上部 【6.竿部北面下部 【7.竿部東面上部
 「大坂」とした  「左 池田の…」は  「右 大…」と読める
 阪とするもの有】  「池田、能勢」か】  「大坂」であろうか】

写真dimg0535 写真cimg3986 写真cimg3972 写真cimg3985
【8.台座部西面 【9.台座部北面 【10.台座部南面 【11.台座部東面
 「寄進輩…」  「…原田村…」とした  「常燈…辻治兵衛」  何もない】
 と読める】  一見、原口村に見える】  と読める】

写真eimg1176 写真eimg0618
【12.元位置?を北に望む 【13.豊中南部の道標】
 中央の木の後ろ辺りか
 右R176、左旧道の名残か】

【2021年5月追記】
 久しぶりに通りがかりに見ると火袋台より上部が無くなっているようである。
 中に入れなかったのでフェンス越しの写真を載せておく。道案内部は残るようだ。

写真himg8461
【14.道標を南に望む】
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