46.西宮市門戸東町5の大正の道標

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西宮市門戸東町5−23 門戸厄神駅から北上し、東光寺(門戸厄神)南門前への参詣道が、西に分岐する
T字路の北西部に南を正面に建つ
尖頭型角柱 76x南面33x22p(頂高2p)(台石21x681x59p)
N34.760373 E135.358076


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南面
┌─―――――――――――――――┐
│日本              │
│  厄神明王道         │
│三體   是ヨリ五丁      │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│武庫郡大社村森具        │
│     施主 田中宇太吉   │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│     世話人 當村     │
│          奥村上太郎 │
│ 大正十一年一月建之      │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│ (なし)           │
└――――――――――――――――┘




(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、42)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、48。)
 説明板に「元は、阪急門戸厄神駅から西へ約五十メートル、西国街道ぞいの富倉川を渡った田圃の中のあぜ道に
 建てられていたという。…その後昭和三十四年この地に移された」とあり、『西宮の道標』出版時点では、まだ
 元の位置に存在していた様に書かれている為、移設時期は少し疑問に思える。
  前述の書や、説明板から、旧位置を西宮市門戸荘17−57辺り
N34.760373 E135.358076
 とすると、「是ヨリ五丁」では距離が2丁程足りず(770m)、現位置から正門階段下までなら、545m(5丁)
 で一致する。
 よって、この「是ヨリ五丁」の部分は移設した時に追刻したもので、建立当時は無かったものと想像する。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む 【4.西横説明板
 左、厄神さんへ  奥、厄神さんへ  奥(南)門戸厄神駅へ  元あぜ道とするが
 徒歩ならこの道か】  左(南)阪急の駅へ】  右(西)厄神さんへ】  旧西国街道の辻北東部】

写真dimg3829
【5.西宮南部の道標】


墓石型道標説明板
道標西側に建つ


 墓石型道標

この道標は、阪急門戸厄神駅から西へ約五十メートル、
西国街道ぞいの富倉川を渡った田圃の中のあぜ道に
建てられていたという。
昭和二十年(一九四五)頃まで、そこは一面の田畑であった
ので、信仰の厚い田中宇太吉が街道を通る人のために
道しるべとして寄進したものである。
その後、駅前の整備とこの参道が新しく整えられた
昭和三十四年(一九五九)頃、ここに献灯されている人たちの
篤志によりこの地に移され保存されている。
              甲東文化財保存会


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